nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真 -トークショー】H30.9/24(月)竹内万里子×古賀絵里子「写真の生 ー見ることの先にー」(『沈黙とイメージ―写真をめぐるエッセイ』刊行記念)@京都岡崎 蔦屋書店

【写真 -トークショー】H30.9/24(月)竹内万里子×古賀絵里子「写真の生 ー見ることの先にー」(『沈黙とイメージ―写真をめぐるエッセイ』刊行記念)@京都岡崎 蔦屋書店

写真評論家・竹内万里子氏の初となる単書『沈黙とイメージ』刊行記念イベントとして、竹内氏と写真家・古賀絵里子氏、そして赤々舎の姫野代表の3者によるトークショーが開催された。

 

写真を研究・批評する側にいる人物が、何を想いながら、写真に対し、作家に対し、言葉を探し出して、綴っているのか、その実のところを聴くことができた。

 

 本書ならびに竹内氏の語りは「丁寧」であった。

「語る」ことが「撮る」ことと同様に、ある種の暴力となることを熟知、覚悟した上での態度である。丁寧とは、写真という沈黙の世界において、そこに息づく生の在り様を「ただそれがある」ように、言葉で手繰り寄せようという試みのことだ。

読者へ了解・伝達を促しながら論考すべきものは、しっかりと道を整備し足元を固めながら語り進め、史実、調査結果については一つ一つピンで留めるようにしっかりと押さえてゆく。
逆に、了解が困難なもの、伝達が困難なものについては、決死の熟考によって言葉を選んでいく。いや、選ぶというよりも、言葉の生じるところまで探しに行き、新たな言葉と出会うと言うべきか。歩みを止めて、全身で対峙すべきものについては、言葉を綴るという形をとりながらも、それについて「語る」ことをあえて遅らせたり、判断を中断させて向き合っている。
さりとて、どちらを向くべきかも、写真作品それ自体は沈黙の世界であるから、それを知るには、写真の内において、射し込む光のようなものを五感で探りながら、書き綴ることによってでしか、どこにも行くことは出来ない。体をイメージの海中に置いて、書き綴り潜行することによって、光のような方向が見い出されてゆくのである。

それがどれほどの労力を費やされたものかを想像すると手に汗が滲む。およそ日常語では成し得ず、学術的な文法でも、従来の写真評論の文法によってもそのような態度をとることは困難であっただろう。竹内氏に「丁寧な」態度、エッセイとしての文体をもたらしたのは、写真界の外の世界から獲得された身体能、哲学としての振る舞いではないかと察する。

本書で取り上げられている13の論評は、それぞれ言及する作家・作品の在り方に応じて、その語り方を大きく変えている。写真作品という、イメージの海へと潜る行為自体は同じなのだが、作家・作品の在する領域――深度や暗さ、潮流、地形に応じて、竹内氏はダイブの仕方を体のレベルで変えている。土門拳に当たっては、史実についての資料の調査が不可欠なため、多数の引用を以って、土門像を表わしている。志賀理江子、古賀絵里子の評に当たっては、細心の注意を払いつつ、最大限の大胆さで、全身を使い、手探りで、ヘッドライトの灯を頼りに、暗い海中の洞窟へと挑んでいる。読むことがすなわち潜ることであるような、美しさと恐れに満ちた潜行である。果たしてその先に終点があるのか、終点があったとしてそれは明るいのか、果たして酸素がある間に語り得るのか。そんな、命を張った潜行であるように感じた。

竹内氏が本書を「エッセイ」と称している理由が、頁を開くたびに分かってくる気がする。

個々の写真家の向き合ってきた被写体――世界について、その時空間の広がりや重み、厳しさを山岳に例えるなら、把握や理解を行うこと、「語る」ための準備は、山岳ガイド本の引用でも、Twitterinstagram上の関連タグからの情報検索、あるいはドローンの空撮、Google Mapからの俯瞰によっても可能だろう。しかし、全体を俯瞰して「語る」こと、分かったこととして了解してしまうことを、竹内氏の態度は回避し、あくまで自身の足で歩いている。
その切実さは、古賀氏が指摘したように「作家の側に降りてきて、同じ目線に立ってくれている」というもので、それぞれの写真家がそうしてきたように、了解事項として処理を完了することなく、それぞれの山の起伏、木々の深さを足と眼で踏まえながら、批評家としての本分である眼差しを以って、「いま」「ここ」に連なる全体の地形、山系のルーツについて触れてゆく。

 

このような文体の、困難さを引き受ける姿勢は一般的な評論、批評とは何かが違っていて、論者に掛かる負荷の面においても独特である。写真を語る際には既存のフォーマットによる処理は勿論のこと、大なり小なり歴史、そして何より「写真史」を語ることに繋げるのがセオリーだからだ。
ここで言う「写真」は企業や公的機関が提供するものではない。あくまで個人の写真家たちの「報われない」情熱、執着、使命感などから撮り溜めてきた無数のドキュメンタリー、詩篇、私景、社会記録、等々である。それらに対して、「語る」側が客観的な柱として依拠できるもの、絶えず語りの根拠として照合する先が、まずは「写真史」ということになるのだろう。

だが、絵画史に比べて非常に若い「写真史」について、ましてや現代の日本写真史について、誰がそれを建築し、誰がその正当性を保証、あるいは担保するのだろうか。一方で、「語る」度に、その語りの正当性を照合するべく立ち返り参照される「写真史」は、根拠としての力を持ち、正統なるものとしての存在感を増してゆくだろう。写真評論の力が「正しい写真史」の構築と保全のために費やされるという逆転現象が起きていたとしても不思議ではない。これらの構造を「言説」と呼ぼう。それはある者たちの立場に力を与え、ある者たちの生を吸い上げてゆく。

この時、その「正しい」柱の強度は誰が計測するのか。誰のための柱、構造体なのか。そして写真評論じたいが評論あるいは批評されるとしたら、誰の眼から批評されてきたのか。それは果たして現在、加速度的に多様な「生」を帯びた社会及び写真作家の営みに、切実さに、耐えきれるだけの強度と確度があるのだろうか。
いや、写真界にも危機感は勿論ある。写真界は時代と共にあろうとし、若手を、女性を、マイノリティを、歴史を、現在を、社会の困難を、センスを、日常を、貪欲に取り込み、評価しようと、苦心しているようにも見える。しかし、我々の多様な「生」と切実さに、果たして十分に応えられているだろうか。作家の「生」は、誰のものだろうか。ある特定のコードによる評価付けと「語り」が繰り返されはいないだろうか。言説のための、言説による自己補強。打ち立てられた塔は、写真を語り、語りの際に参照され続けることによって「生」を取り込み、評論(家)はその番人と化しているとしたら。それを覚悟の上で、あるいはうまく回避しながら、作家は作品に挑んでいるのだろうか。

 

本書は、その無数の切実さに対し、全身を隅々まで使って、「私」の切実なエッセイという態度によって語られる写真評であり、写真評論に対する批評としても効く言葉である。
トークでは、作品を作ることの「報われなさ」、評論を書くことの「報われなさ」への言及があった。それは創作活動に本来的につきまとう困難さについての話であるが、私見として、視野を広げてみたとき、作家を取り巻く環境、社会、言説そのものが「報われない」構造をしているとしたら、作家や批評家が身を削って真摯な態度をとればとるほど、命を差し出せば出すほど、それだけ却って、返ってくるものはないことになってしまう。しかし黙っていれば無視されるか搾取されるだけかも知れない。写真は沈黙に満ちている、しかし黙っていることは許されないのだ。

「社会が悪い」「写真界が悪い」とは、竹内氏は言わない。ただ、写真作家と対話し、写真の選評に関わり、教育に携わり、誰よりも状況を熟知しているはずだ。思うところはあれど、それを声高に叫ぶのではなく、あえて「沈黙」を引き受け、語り得ぬものを認めた上で、言葉を探し、表すである。それは一種の闘いであるとも読めなくもない。
作家の個を評価し、その存在を承認する枠組み自体が――言説が、何かの力で歪んでいたり、制度疲弊を起こしているとするならば、それは恐ろしいことだ。作家の生存――語り得ないものに全身で向き合い、了解し得ないものを引き受けた上で、多大な犠牲を投じて作品へと昇華するという営みが、「自分の生を縛りつけ苦しめているものたちから解き放たれる」という究極的な賭けが、最初から成立し得ないことになってしまう。もしそうだとしたら、想像を絶する「報われなさ」を生むことになる。それは恐ろしいことだと思う。

 

写真評論、写真の言説に対する、ひとつの批評の態度としての、「沈黙」。

竹内氏は「書くことからしか始まらない」と語った。「考えたことを書くのではない」「書くことで、分かる」「書くことで何か新しいものが生まれる」ということの意味は、これまで述べたように、自らの手足で、自身の「体」で、暗闇の海の中を、未知の山道を確かめるように、作品と対話することに他ならないだろう。エッセイの語源は「試み」である。言説に依ることなく、後ろ盾のない状態で、作品について、低い唸り声を発するように、言葉を書くこと。 

ここで、批評において注意すべきの知見が得られたので、二点ほどまとめたい。

一点目は、このエッセイという態度は、調査と思考と表出の実践を15年、20年、あるいはそれ以上に重ねてきた竹内氏であるからこそ、作家の想いと呼応する光を産み出すことができるという点だ。「理解」や「了解」のコードで処理しそうになる身体をあえて押しとどめ、慎重に、目の前の作品との応答、そして作家と被写体との応答に対して、少なからぬ時間をかけて立ち会い、時をおいてまた出会うことは、きわめて哲学的な態度であり、鍛錬なしには困難なものだ。
まずは、ロジカルに破綻なく「語る」ことを鍛え、同時に、既存の歴史や言説を知ることが避けられないだろう。鍛錬や学びなくして理解が可能な写真も沢山あるが、それは「理解」や「了解」に付け入るコードで構成された写真であり、半ば消費財、サービス、ファッションといった形態を伴うものと思われる。それらは多くの、そして直接的な、命令形に近い強さのコードを搭載しているが、作家が扱う写真はそういったコードを回避し、すり抜け、乗り越え、裏切り、沈黙を湛えている。 それらの作品を不用意に「語る」ことが、結果的に大きなコードの下へと回収してしまうこととなると知った時には、哲学的態度、「丁寧な」語りが必要となるだろう。そのためには、書く以外にないようだ。

 

もう一点は、竹内氏がはっきりと注釈を述べた点である。写真に関するあらゆる次元の「沈黙」に対して向き合うことについて、その上で評論を行うことについて、「作家と仲良くするためではありません」「写真家の心を推し量って書くことが目的ではないのです」と述べたことだ。この姿勢は、もし批評に携わる人間であるのならば、心しておかなければいけない。それは恐らく何らかの欲望を満たすこと繋がっているからだ。

欲望。

先の尖った鉄の刃が腹部にめり込むような感じがした。欲望。テキストというものがもとらす快楽と暴力については、場を改めて考える必要があるだろう。竹内氏は『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』(2010)の翻訳・刊行、巡回展に当たって、ある極限状況を引き受けつつ、前へと思考し続けねばならない日々を送っていたことが、本書掲載の『ルワンダ・ノート』(2009.10~2010.12)に記されている。
そのような状況下で思考し、言葉で書くという機会は、一般人には、困難だ。書くということの根本的な動機の深さと切実さが違うと思う。分かっている。竹内氏は、文字通り「言葉にならない」体験をしたものたちとの関りのなかで、言葉にならないものと、言葉で向き合い続けてきたのだ。
だから、一般人が今日ここで可能な取りあえずの態度は、まずは素朴な欲望を認めることだと思う。例えば身近な作家を応援したいとか、先日のイベントが面白かったことを仲間にシェアしたいとか、目の前の作品をもっとよく知りたいとか、そういったシンプルな動機のことだ。

欲望は影のようにすぐここにあり、「私」が居る限りは絶えずここにある。だが今は、私に関して言えば、それを黙らせるべきではない。少なくともそれが私にとって写真を「見る」動機となっている間は、それを頼みにする他はない。 

 

 

書籍の内容と、トークショーの内容と、私の理解した内容と、それらから生じた私見とが、かなり交錯する文章になってしまった。古賀絵里子氏の喋っていたことも記録として書きたかったのだが、何か謎の力に引き寄せられて、さきのような文章になりました。謎である。

本書の刊行に当たって竹内氏は「もう死んでもいい…」と万感の思いを語りつつ、一方でその裏には、竹内氏・古賀氏の両名とも育児という壮絶な状況があったことも語られ、自分の時間を全く持つことができず、精神のバランスがとれなくなっていたという、恐ろしいエピソードがあった。

現代は男女ともに多様な生き方を選べるようになったが、物理的にも制度面でも全然楽にはなっておらず、腹に漬け物石が乗ったようなきびしみがあった。ウッ。

 

( ´ - ` ) 完。