写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真表現大学】H30.7/8(日)_特別公開講座『写真家がテーマを見つける時』(潮田登久子 先生『本の景色』 (SERIE BIBLIOTHECA 3))

【写真表現大学】H30.7/8(日)_特別公開講座『写真家がテーマを見つける時』

(第37回 土門拳賞受賞 潮田登久子(うしおだ・とくこ) 先生 『本の景色』 (SERIE BIBLIOTHECA 3)

 

( ´ - ` )ノ 受賞おめでとうございました。

 

講座は、外部からの聴講希望者が多く、満員盛況でした。

さて本稿では、この特別公開講座におけるレクチャーの内容:写真家とテーマの関連、今回の土門拳賞・受賞の意義、そして潮田先生の作品についての私見をまとめていきたいと思います。

(以下、作家論に入るので、敬称は「氏」とします。)

 

※この日は残念ながら共演予定(サプライズ)だった夫の島尾伸三氏が体調不良でダウンされたため、畑館長、天野先生との3者トークイベントとなりました。

 

(1)写真家・潮田登久子氏とは。

1940年生まれ。フリーランスの写真家。このたび、写真集『本の景色』(2017)が、第37回土門拳賞受賞に輝いた。

夫は写真家の島尾伸三氏、長女は漫画家・エッセイストのしまおまほ氏。二人のどこかポップで身軽な作風と、潮田氏の世界観はまるで真逆で、一対一で正面から真摯に向き合う姿勢が特徴的となっている。

 

写真家としてのルーツは、「花嫁修業としてお茶やお花を習う時代だったので、私は花嫁修業にデザインを」と、1963年、桑沢デザイン研究所に入学したところから始まる。そこで講師である写真家・大辻清司と出会い、写真の教えを受け、アシスタントを務め、写真家人生が紡がれていった。

身近なものへ眼差しを向けてテーマ化させる姿勢は、まさしく師の大辻清司から受け継いだものではないかと推察していたが、ご本人が語るところでは夫の島尾氏の「こたつ写真とでも言うのか、身の回りで作品を作ってしまう」姿勢に相当な影響を受けたようだ。「癪に障りましたよ、それで評価されるんですから」。

元来、渋谷など街に出て、テーマを決めては至近距離からガチンコで通行人を撮っていたスタイルを転向させ、身近なものへ眼差しを写すこととなった。一つには子どもが出来て余裕をなくしたこともあるが、やはり夫の作家としてのスタンスに感化されたことで、思いもよらぬ得意分野が目覚めたということになるだろう。

 

そして、潮田氏の取組の最大の特徴は、年数である。

自宅や友人宅の冷蔵庫を撮って15年、図書館などの古書を撮って20年と、非常に長い月日を重ねた取組には驚かされる。別に壮大なプロジェクトではない。手の込んだ演出があるわけでもない。作家は、友人、知人との付き合いの中から取材先を得て、ゼンザブロニカと三脚とレフ板を持参し、現地で黙々と撮るのみである。しかしその写真には、何か訴えかけてくるものがあるのだ。日常の事物を撮りながらも、それ以上のものが引き出される。そうして日々を重ねていく。

 

(2)土門拳賞受賞の意義

ビビッドで弾けるような感性が期待される若手世代、あるいは森山・荒木といった一時代を築いた大家のブランドに注目が偏りがちな現代において、現在78才の潮田氏の名は正直言って、今回の受賞がなければ、あまり世間に知られることがなかったかも知れない。

その意味で今回の土門拳賞受賞には大きな意義があった。畑館長がレクの場でも打ち上げの宴席においても強く繰り返していたのが、今回の受賞をきっかけとして、土門拳賞自体の姿勢や意義が社会から見直されることになるだろう、ということだ。

 

土門拳賞は、影が薄くなってしまったのではないか。

 

都市や戦地を追った活動を評価するのは正しいことだが、フォトジャーナリズム路線にやや固定化され、多様性を失っている面がある。対照的なのが、同じく日本写真界の名門・木村伊兵衛賞だ。新しい写真家の多彩な才能を、年齢や性別、テーマを問わず、時代の変化に即して評価してきた。この両者には大きな差が空いてしまい、土門拳賞はどこか周回遅れの感が否めなかったことが指摘された。

 


 

<★Link>  木村伊兵衛賞 歴代受賞作品一覧

 

それは、本来の土門拳の生き様とは真逆である、と畑館長は批評する。実は土門拳こそ日常を撮り、眼差しを向け続けた写真家である。筑豊の子供たちも、室生寺も、仏像も、それらはいずれも日常への眼差しである。

この指摘により、私は自分の直感が正しかったことを確認できた。潮田氏の『本の景色』と、土門拳の仏像との関連性である。このことについては後述したい。

 

 

何気ない「日常」を長年に亘って見つめ続けた作家 / 女性の存在を、男性的ジャーナリズムの色合いの強かった土門拳賞が評価したということ。「土門拳賞には、幅の広さがあるのだということを示し、一石を投じたこととなった。これは土門拳賞のターニングポイントとなる出来事である」「また、図書館を運営する立場としても、本を作ることが困難な時代に、本や図書館をテーマとする作品が評価されたことは、非常に嬉しく思う」との畑館長の言葉を以って、講座は幕を開け、そして締め括られた。 

 

(3)レクチャー/①『冷蔵庫』

ここでレクチャー内容、もとい、潮田氏の作品の具体的な中身に入ろう。まず『冷蔵庫』シリーズだが、写真は「美」を語るものだと思い込んでいるSNS慣れした眼には、この作品世界は衝撃的である。

写真集『冷蔵庫』は1996年に発刊された。

まごうことなき、冷蔵庫である。これが57軒分ある。

巻末には、各家庭の家族構成や職業が記され、まるで昆虫採集のようだ。いや、冷蔵庫の「風景」と呼ぶべきか。自宅及び友人・知人などの家の冷蔵庫を、扉を閉めた姿と、中身を見せた姿の二枚一組をフォーマットとしている。それだけの写真集だ。

しかし、その衒いの無さゆえに、冷蔵庫の形状や、扉に貼りつくマグネット、扉内のバスケット部に差し込まれた瓶や牛乳パックのラベル、台所自体の間取りなどに、ことごとく80~90年代の我々の暮らしが表れ、「時代性」がしっかりと記録されている。

 

この写真集は、私が写真表現大学に入ってあまり間がない頃に、授業で紹介された。その時は、意味が分からず、へらへらしていた。しかし入学から3年目となる今、とんでもない写真集であることが分かってきた。

まず、冷蔵庫や台所周りを主役にして写真を撮る人は、いない。日常景のうちのワンカットとして冷蔵庫が採用されることはあるだろう。しかし冷蔵庫を核とした台所の風景を撮り続ける作家は、極めて稀である。

恐らく、冷蔵庫などの家財道具は、すっかり私たちの体の一部となっていて、客観的に顧みる機会すら持つことがない。だが、暮らしの中には確かにあるのだ。「いる」と言った方がいいかもしれない。冷蔵庫は重要なインフラであるとともに、個々の家人、家族の生活スタイルが強く反映された、家庭の「影」のような存在だ。

それと、距離感と描写が丁寧で、撮影者の主観が抑えられていること。作家はあくまで黒子に徹し、冷蔵庫とその周囲の風景を主役として撮っている。つい自分の感性、独自の視点などに走りがちなところだが、決めたフォーマットをブラさずに淡々と守り続ける(15年も!)ことは、私などには仏道修行のようにすら思える。これは真似できるものではない。 

 

話は1981年に遡る。夫の島尾氏が進駐軍の払い下げ品を一万円で手に入れ、三万円かけて自宅に運び込んだところから、冷蔵庫との共同生活が始まる。

一部屋しかない西洋館の2階で、テレビもなく、夫婦と幼い娘の3名が暮らしを営むど真ん中に、巨大なスウェーデン製の冷蔵庫が鎮座する。真夜中に物凄いモーター音を響かせるそれは、いつしか潮田氏の被写体となっていた。子供が小さいため、自由に外に出て撮影できなくても、暇な時間を活用して撮ることができる被写体であった。まさに、主婦ならではのテーマである。

 

冷蔵庫は撮り溜められていった。「よそのうちも見たくなった」と、大家さん宅、友人宅と、頼んで撮らせてもらう。長期に亘って撮っていたところ、写真家の都築響一氏に「早くしないと腐っちゃうよ」と唆され、写真集としてまとめることを決意。だが出版社に持ち掛けた際には「裸の女性は入らないんですか?」と言われ、「これはだめだ」と思ったという。当時はまだ、写真集が男性目線で性的に消費されるものだったことが分かるエピソードだ。

そんなこともあって写真集の発刊に当たっては、誰もが知るところの「写真集オタク」である夫の島尾伸三氏が編集を手掛けた。彼の題字の入れ方に対して、ずいぶん不満が残ったらしく、島尾氏との「写真家 vs 編集者」エピソードは尽きない。

 

その折、父親が逝去し、「お金が入ってきたから」と、右から左へ、写真集の出版に充てることにした。

刷られた2千部の写真集は、今やすっかり在庫もなくなり、逆に貴重本となってしまった。「日常」や「生活」、言わば「一般民間人」の多様性の面白さがみっちり詰まった、傑作(怪作?)である。優れた作家は、暮らしに潜むステルス機を発見して、鮮やかに可視化するのである。

 

(4)レクチャー/②『本の景色』

今回の本題である『本』だが、これもなかなか可視化されざる、日常生活に溶け込んだ一部分、一風景である。それと同時に、考古学としての性質も併せ持つ。

最新作『本の景色』は、本そのものと、それに携わる人や、周囲の環境を捉えた「BIBLIOTHECA」(ビブリオテカ)シリーズの第3弾である。これまでみすず書房旧社屋』(2016)、『先生のアトリエ』(2017)が発刊されてきたが、『本の景色』は実に200ページ超のボリュームと、高級紙ヴァン・ヌーヴォを用いた上品な仕上がりとによって、名実ともにシリーズの集大成とも言える一冊となっている。

 

きっかけは、みすず書房で何気なく目に留まった古びた本が、「とても品のある本だな・・・」と感じたことだった。それは丸山眞男『戦中と戦後の間』だったという。勿論、書いていることの中身は全く知らない。しかし、惹かれるものがあった。「帯も取れているし、もう要らないかと思ってもらってきて、漠然と撮り始めた」。本の色は、その時々で射し込む光によって変化し、品の良さが引き立てられた。

作家がテーマに出会うのは、初めにお題を打ち立てて取り組む場合と、何気なく始めたところから不意に発見される場合とがある。潮田氏のシリーズはまさに後者の好例だが、元々、本に対して深い関心と愛着を持っていたことが、逃れがたい化学反応を偶然に(必然的に?)起こしたとしか言いようがないだろう。

 

『BIBLIOTHECA』シリーズにおける作品は、大きく3通りのスタンスが見受けられる。

①本そのものの存在感、表情、佇まいを撮る

②本が取り扱われている環境を撮る

③本に携わる人、本と共に生きている人を撮る

『本の景色』では、①が主体として据えられつつ、②へと広がりが持たされ、その一環として③も写り込んでくるという構造をとっていると言えるだろう。『冷蔵庫』が①と②の折衷に近いことを考えると、世界観の幅はずっと広くなった。ちなみに、みすず書房旧社屋』は②と③、『先生のアトリエ』は②が主で、大辻清司の身の回り品を通じて③を語る、というスタイルがあり、それぞれに分岐している。

 

丸山眞男との出会い以降も、出会いが続く。

「近所に住んでいる知り合いの方が、早稲田大学の教授をされていて、話をしたら、じゃあいらっしゃいということで、大学図書館の貴重書室で写真を撮らせてもらえることになった」と、娘さんの友達の父親から、話が始まった。

 

聴講生、作家を志す人の多くが最も知りたがるのが、「いつからこの人は”作家”へと変身したのか」という、ターニングポイントについてである。実際には長い年月をかけて力が貯えられ、スタイルの原型が模索された結果なのだが、ある一点を境として「羽化」し、世の中へと浮上する。その錬金術の如きメカニズムを知りたいわけだ。その最たるポイントが「テーマ」の発見・生成であろう。

しかし話を聴けば聴くほど、作家とテーマは、螺旋を描くような関係にあることが分かる。作家の方からテーマへと向かい、テーマの方からも作家の元へやってきたりする。それがいつ出会うかの問題だ。例えば学校教育では、決められた期間内にテーマに応じたアウトプットが成されないと、生徒を社会に送り出すことができないため、テーマ先行という手法を取らざるを得ない。しかし、真のオリジナル・テーマは、案外、ステルス機のように、見えないところに潜んでいる可能性が高そうである。

潮田氏は早大の教授には、自分のことを写真家とも明かしておらず、写真集を渡していたわけでもなかった。偶然の話の運びだったという。

因果の説明のつかない現象は「偶然」と呼ばれる。偶然は重なることがある。しかし偶然が3つ、4つと重なった場合には、それは「必然」と呼び変える必要があるだろう。目に見えない「必然」の糸を掴む力があるとすれば、それを作家性と呼ぶのかもしれない。

恐らく潮田氏は、大辻清司や石元泰博、そして島尾伸三らと関わる中で、その力を得てきたのだ。いずれも、写真史に名を刻むレベルの著名人である。そういった如何ともしがたい出会いの運命も、よい作家には欠かせない要素だと言ってしまうと、身も蓋もないだろうか。

 

図書館で保管された貴重書は、我々が普段目にする「本」とはまた異なるものだ。その姿は樹齢を夥しく重ねたブナや縄文杉のように、本であることを超えている。年月の経過に生き延びた者だけが持つ、傷と崇高さに満ちている。そう言葉で書いてしまうと簡単に過ぎるのだが、写真はその尊さを保持し、伝えてくれている。

貴重書は今まさに現在進行形で崩れゆくものであり、触れたそばからボロボロと崩れるので、潮田氏も撮影時の扱いには神経を遣ったという。虫に食われて穴だらけで、パズルのように人の手で取れ落ちた部分を嵌め直すなどの補修作業が必要な本もある。 

司書が「この写真が世間に出たら、うちにお金がないことがばれてしまう」とこぼし、それを聞いた潮田氏は「ああ、自分のやっていることは、これで良いんだ」と確信した。

つまり、作家は、見え方の断層を見出したのである。現場の職員はプロとして熟知しているがゆえに、目の前にある本について、より適切な管理・修繕を試みる。

だが写真家の眼は、良し悪しの判断をしない。良し悪しを判定するのは、究極的には政治の眼である。写真家・もとい写真機は、ただ眼前の事物や風景を「受け容れる」のである。その視座に、思慕の念がブレンドされたものが、潮田作品の描写であり、氏の作品の魅力と言えるだろう。

 

『本の景色』は、本に関する記録写真、あるいはタイポロジー的な作品で留まることはなかったし、逆に私的な風景として「私」を語ることも回避されている。そのいずれの要素を含みながらも、本そのものの存在を尊重したうえで、書庫の様子、本の補修作業者の手や、本に半分埋もれている古書店の親爺などの写真が繰り広げられる。幾らでも撮れてしまうがゆえに、終わりを見失いそうだ。

「私が撮り散らかしてしまうので、なかなか写真集ができなかった」と、再現なく撮り続けてしまう状況であったが、さすがにお疲れがあったのか、慶応大からも声をかけてもらったものの、企画は一旦休止となっているようだ。

  

(5)日常から聖性へ ~土門拳との関りについて~

以下は私見である。

さて、先述の通り、本講義では畑館長より「土門拳賞」の意義を通じて、土門拳という昭和日本を代表する写真家の姿勢と、潮田作品との共通性が語られた。それは日常への眼差しであった。

 

ここから更に踏み込んで述べたいのが、もうひとつの共通性として浮かび上がる「聖性」(holiness) の存在である。

 

私は講義の二時間前から図書館を漁って、潮田作品と他の作家らとの共通項を探っていたが、仮設はどれもいまいち当たらず、棚をうろうろしながら焦っていた。それは、

桑沢デザイン研究所での師である大辻清司

②大辻の傍にいた石元泰博

③同じく昭和の女性写真家・石内都など

④その他の70~80年代写真家

土門拳

である。

しかし、①大辻清司はあまりに実験色が強く、いち写真家というより、造形芸術家が写真を用いて日常の造形・彫刻についての解釈を深めていた、と言わざるを得ず、撮影の目的が潮田氏と根本的に違っていた。日常風景をオブジェ化するという眼差しは、非常に近いものとして評価できた。

石元泰博は、あまりに研ぎ澄まされた、古き良きアメリカのモダンな映像美なので、論外である。

③は、潮田氏が惹き付けられた世界と真逆。石内はポスト森山大道とでも言うべき都市の表層のノイズ感からスタートし、次第に表皮や肌、傷という「身体性」や「装い」へ至った。世界が全く異なる。

④も論外、似ているものがいない。潮田氏の視座は都市論でも考古学でもない。何か割り切れない力があるのだ。

つまり、⑤なのではないか。

 

いや。突拍子すぎるか。的外れでは、との思いから、土門拳の仏像の写真集を図書館の棚から出しては戻すといったことを繰り返していた。しかし、気になる。

それが、館長の指摘によって、「潮田作品と土門拳を結び付けて語って良い」ということが分かり、考えを進めることができた。

直感的には、お堂の中に浮かび上がる生きた仏像と、図書館の書庫で浮かび上がる本とは、何かが似ていた。

とは言え、二人の描写の仕方、訴え方は、全く別の主張である。土門拳の仏像の迫力を思い出してほしい。身体より大きな拳で、正面から正拳突きを食らうような力がある。潮田作品の描写は、見る側がその中へと分け入っていく喜びと深みが特徴的なのである。全く別物ではないか。そうは分かっていてもなお、何かが引っ掛かる。

それが「聖性」である。

 

潮田氏は「本・被写体の向こう側にあるもの」を意識し、「本の森の、その本の中の森へ」分け入っていく感覚について語った。つまり、本の中身だけでなく、本の置かれた空間、そして本にまつわる歴史性や、本に関わる人々の存在、本を取り巻く社会を見通して、撮っているということだ。作家が見る『本の景色』とは、本を通して得られる五感の広がりについての知覚体験と言えよう。

 

ここで「聖性」と呼ぶものは、それらの体験を呼び起こす力のことだ。個々の本は、激しい使い込みや経年劣化によって、個体としてのアイデンティティーが解体されている。すると、制度として流通している書籍から、一個の「モノ」としての「本」へ還元され、抽象概念に近いものと化していく。ここに、聖性の生じるメカニズムがあるように思われる。

 

「モノ」の存在を認めることが尊さ、聖性へと至る経路については、具体美術や「もの派」の活動も参照しつつ、今後探求していきたいところである。ひとまずここでは、遠藤利克の活動を引用し、次回につなげることとする。

 

www.pref.spec.ed.jp

 

遠藤氏は「モノ」そのものの存在感のかたちが、神話との関連から、物語を呼び起こさせ、聖性を伴い、高次元の体験を我々にもたらすことを指摘している。書籍もまた、聖書を思うと、神話の重要なモチーフ(というより本体そのものか)であろう。

 

劣化を防ぐために保護・保管されている書籍、あるいは存在を忘れ去られて放置されていた書籍が、改めて一つの「モノ」として光を受け、カメラの前にボロボロの素肌を晒すとき、露わになった存在感は、書籍を政治的な価値付けから解き放つ。小学生の国語教育のために付箋まみれになった辞書も、数百年、千年以上の年数を経た古書も、いずれも等しく唯一無二の存在となるのだ。希少性や歴史性による価値付けから自由となり、無名の「モノ」としての尊さが浮かび上がる。それは、制度化されざる、信仰にも似た体験とは言えないだろうか。

 

一方で、土門拳である。

土門拳の仏像の佇まいは、ただ事ではない。我々がどれだけ気合を入れて寺社仏閣を巡っても、このような見え方は出来ない。肉眼と大判カメラでは構造が違うので当然だが、それにしても尋常ではない。仏像らのまとう空気感、表情は、我々生身の人間の生きる世界とは、別の時空であると言わざるを得ない。つまり、土門は現世にいながら仏界を撮っているのだ。

 

土門拳が『古都巡礼』シリーズは、1939年に初めて室生寺を訪れてから、1978年に雪の室生寺の撮影に成功するまで続けられた。全国各地の寺社、仏像を撮ったが、同時期には(二度目の脳出血からのリハビリの意味もあるかもしれないが、)路傍の何気ない草花も撮っている。すなわち、神仏を撮る眼とそれらとは根底で同質であり、土門自身が有する原風景に基づいている。

「絶対非演出絶対スナップ」の主は、演出こそしないが、自身の求めるイメージを写真で実現させるために、何度でも現地に通い、いかなる瞬間の移り変わりをも逃さず、撮影が終わっても「これだ」と思う瞬間を見出せば弟子をどやしつけて、機材をまたセッティングさせた。そしてしつこく、粘り強く撮影を行った。撮影に当たっては、事前調査のために仕入れた関連書籍が部屋に積み重なることから、「撮影旅行に行くと、彼の書斎ごと移動する」と言われる所以であった。

 

そうまでして自己の内部にイメージを培い、対象と一体化して撮影に臨む在り方は、潮田氏のスタンスとは完全に異なるし、「モノ」のあるがままの存在に着目した芸術家らとも全く異なる。むしろ逆であろう。

 

しかし土門拳がそこまでして追い求めた仏界とは、何だったのだろうか。眼前にあった寺社の光景をそのまま写すことでは、成し得ない理由があったのか。

太平洋戦争を境として、日本中の全てのものが国家への従属・協力を強いられ、そして敗戦後は、GHQ主導のもと、全てが安全に管理できるよう解体され、無毒化できたものは残された。このことと仏教界が無縁ではないだろう。土門拳は、安全な組織・制度と化した宗教法人としての仏教システムの向こう側に、制度化される以前の、力に満ちた仏界を見ていたのではないだろうか。魂のふるさととなる「日本」の本来の力とルーツを求める渇望が、そのビジョンを現出せしめるよう、彼を突き動かす。

ぼくの写真の対象が常に日本民族の喜びと悲しみと誇りに向けられているのも、無国籍的な芸術志向に対して生理的に忌避的であるのも、その民族主義的な立場上、当然の色彩といえよう。それはぼくの写真家としての出発の時期とその後の経緯を通じて、社会的に形成されたものである。当然のことながら、何より戦争と敗戦に一義的に触発されている。(昭和38年)

(「昭和写真全仕事 シリーズ5 土門拳朝日新聞社、1982、P103)

 

その原初の「聖性」を、早朝の雪景色や、茜雲から差し込む黄金の光に照らされるお堂に見い出していたとすれば、土門作品の凄みと崇高さの意味が、少しは理解ができる。現代の我々が、管理の行き届いた寺社で、スマホやデジカメを片手に眼を凝らしても、土門作品とは似ても似つかない仏像しか見えなないのは、至極当然であろう。

 

太古の濃く激しく揺らめく仏界への想いが、文字通り、”生きている”ような仏像の映像を産み出したとすれば、根底では潮田氏の作品と相通ずるところがあるだろう。両者とも、現行の制度化された書籍や仏教施設を写真により、政治的な枠組みから外して自由をもたらし、原初の力へ立ち戻らせている。しかし手順が真逆であり、潮田氏はモノとしての透視を経て、土門は自身の内部にイメージのスクリーンを重ねに重ねて、そのようなビジュアルを可視化させたのであろう。 

 

正しいかどうかは別として、私が感じた潮田―土門間の「聖性」の共通性については、以上のような構造を一旦整理しておく。トークでも全く言及されていない話なので、作品の鑑賞に当たっては、個々人の自由解釈でよいと思う。

 

会場は活気があり、トーク後の質疑応答は終わりそうになかった。潮田氏も、一つ一つの質問に、熱心に食い入って話し続け、このまま1,2時間は質疑応答が続くのではないかと思うほどであった。

残念ながらお時間で打ち切りとなったが、その小柄な体に底なしのバイタリティを秘めた作家であることを、誰もが感じたと思う。勝てる気がしません。

   

 ( ´ - ` ) ありがとうございました。

 

 

関連書籍の即売&サイン会も好評でしたね。

 

何気に島尾伸三「禁産趣味者宣言」がひどく面白く、しかも千円という破格だったので、買ってしまった。

 

トークの最中も、潮田氏がしきりに「本当は島尾がいたらもっとわけがわからなくて、面白い展開になったと思うんですけれど・・・」「本人はぜひ来たがっていましたが、もう熱を出して、真っ赤になって寝込んでいたので・・・」「こんちくしょうと思うこともありますけど、まあ変な人が周りにいるから楽しいんですけど・・・」「大変ですけどね」と、愛憎というか、愛というか、関西人的には最大級の賛辞を送っておられたので、ぜひ次は島尾伸三氏との掛け合いも体験したいと思った次第であります。

 

 

( ´ - ` ) 完。