写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】「エリオット・アーウィットの世界」&「永遠の少年、ラルティーグ 写真は魔法だ!」@京都

【写真展】「エリオット・アーウィットの世界」&「永遠の少年、ラルティーグ 写真は魔法だ!」@京都

京都の写真熱はまだおさまらない。KYOTOGRAPHIEの会期後も、二人の大物写真家の展示を拝むことができた。

 

マリリン・モンローのめくれあがる白いドレスには、何世代を経ても人類はドキッとさせられます。エリオット・アーウィット。写真の力を感じます。

 

写真の力とは何でしょうか。

 

瞬間を凍結させる力、現実を複製する力、「今」を生きたまま未来に遺し続ける力。予期せぬものを取り込む力。なるほどですね。

 

◆「エリオット・アーウィットの世界」@何必館京都現代美術館

そういった、写真にしか出来ないことを満遍なく実現できる人がいたとしたら、どうなるか。狙って作り込むファッションフォトも、瞬時のスナップも、セルフポートレイトも、どれも歴史に残る「名作」となる。エリオット・アーウィットはまさにそんな写真家でした。

 

エリオットは1928年にパリで生まれたロシア人で、11歳頃から渡米。16歳頃から写真現像所で働き、ロサンゼルス市立大学で写真を学んだ後、仏・伊を撮影旅行。

22歳(1950)、NYにてエドワード・スタイケンロバート・キャパ、ロイ・ストライカーに出会い、兵役中の写真が雑誌『ライフ』で新人賞を受賞。

25歳(1953)でキャパの推薦を得て、若くして写真集団マグナムに参加します。以降、世界を舞台にしつつも、主にアメリカで活動。

 

その経歴のとおりマグナムの一員であったことから、絶大な取材の権限を得ることができ、米国大統領の執務室にフリーパスで入れるなど、時代の動向の中心地に身を置いていました。そのため、マリリン・モンローを筆頭に、ニクソンケネディチェ・ゲバラアンディ・ウォーホルなど超著名人の姿が並びます。何気ない街角や犬の写真と併置される、人類史上の著名人たち、この被写体の幅広さが最大の特徴です。

 

マグナムと言うと、報道写真家のイメージが強いかもしれませんが、どちらかと言えば、マグナム創成期のメンバー:アンリ・カルティエブレッソンの現わす世界に近いかもしれません。何気ない日常がふとした瞬間に見せる、滑稽でお洒落なシーンを逃さず捉えています。

時代こそブレッソンより20年ほど下って、1950~70年代のアメリカが舞台となっていますが、同時期の写真家:ロバート・フランクやリー・フリードランダーのような「アメリカ」ではない、人肌の温度、優しさのある日常光景が魅力的です。安心して見ていられます。

 

 ブレッソン調の、余裕のあるお洒落さと、フォトジャーナリストとしての時代を捕らえる眼とが合わさり、安定感が抜群です。

端的に「上手い」。

尋常ならざる底力を感じます。実力がありすぎてかえって写真が「普通」な感じに見えてしまいますが、じっくり見ていくと、どうも実力の桁が違う。道端で出会った犬も、葬儀の場のジャクリーン・ケネディも、くつろぐモンローも、江ノ島の犬サーファーも、アーウィットのカメラの中では皆、平等に存在しています。じっと見つめて受け止める力と、瞬間を逃さない力が、高いレベルで両立しています。

 

その意味では先日見たソール・ライターのほうが「センス」と「技」を駆使した「スタイル」の構造が立っていて、一目で「これはすごい!」と分かる感じでした。

 

 活動年代的にも重なっていますね。

mareosiev.hatenablog.com

 

アーウィット作品には古き良き「味わい」があります。「間」の余裕があり、被写体との距離と画角に節度のあるゆとりが確保されていて、被写体側にある線からは立ち入らない。その間を、優しい空気感で満たしており、被写体は滑稽であったり、愛らしい。その点がカルティエブレッソン的です。

 

かと思えば、優しい粒子の空気で緩和されているけれども、黒人と白人を区別した水飲み場や、モータリゼーションが進みコンクリートで覆われた都市の光景など、「時代」をしかと捉えている。

 

私は高級車の車内でセレブ然として座するアンディ・ウォーホルの、石膏像なのか生身の人間なのかよく分からない不気味なスター姿、そして、少年の眼と成熟した女性の濡れた瞳を併せ持ったチェ・ゲバラの姿に、大変に惚れました。

 

 (*´・_・`) ええなあ。

 

 

もう一人の底知れぬ実力者は、ジャック=アンリ・ラルティーグです。

 

◆「永遠の少年、ラルティーグ 写真は魔法だ!」@細見美術館

アーウィットが品のある「余裕」を湛えたフォトジャーナリストであるなら、ラルティーグは更にもう一回り、二回り「余裕」があります。

 

金持ち。

 

鬼のように金持ちです。ちょっと平民の私には理解しかねますが、父親は銀行家、フランスでも上から数えた方が早いぐらいの資産家の家の子で、ラルティーグは6歳ぐらいの時から写真を撮っています。どういうことや。

 

1894年生まれなんですよ彼。

当時のカメラは高級品です。私生まれてないんで知りませんけど高級品だと書いてました。

 

その時代に、小学生になるかならないかの子供が、ガラス乾板カメラで兄貴や従姉を撮っている。いやあ。なんでやねん。コンデジのない時代です。当然ビックミニもない。当時のカメラは高級品です。そう書いてました。子供に買い与えるものではないはず。買い与えられる財力あるんだなあ(遠い目)。

 

機材の歴史は詳しくないんで分からないですが、乾板カメラって35㎜みたいにパチパチ撮れるもんなんでしょうか?? わりと普通に賑やかな日常景を活写していますが、

 

1枚あたり単価絶対高いだろ。

 

ちょっと調べたけど1900年当時の乾板写真1枚当たり現代換算なんぼか分かりませんでした。牛丼何杯分になるだろうか。

しかし普通の家庭なら、子供がカメラ触って乾板のマガジン使い切ったら、目玉が飛び出るほど怒られて、びびって写真やめちゃうと思いますね。余裕のある家は違いますね。ゆとりがエリートを育むのか。

 

いい写真なんすよ。

 

この時代は、小金持ちのおっさんとかが余暇でピクトリアリズムでシコシコと絵画調の「作品」を作り込んでウェーイしている印象です。子供が日常を撮るのか。けど写真を見ても10代の子が撮ったとか、分からないです。卓越してますわ。言われなければ分からないです。金持ちということは分かる。育ちがええんですなあ。

 

結論を申しますと、この写真家には、制約がなかった。好奇心の赴くがまま、兄貴や仲間を撮り、毎日は写真や日記の形で「記録」し続けられた。早熟な好奇心を牽引し、時代の最先端をやっていくことを、経済事情と回りの理解が可能にした。 

当然、付き合う人々も相当なグレードの方々なので、もう写真全てに「余裕」が満ちています。無敵やないか。

 

しかし金銭的余裕のみならず、これらの写真は「道楽」と呼ぶにはあまり無邪気、なおかつ親愛の情が溢れているのもまた特徴です。

 

心の余裕もある。

 

\(^q^)/ 無敵やないか。

 

 

いけすかないですね。もっと一家に麻薬や虚栄や荒廃の影があったらですね、面白いんですがね。ナン・ゴールディンの先駆けみたいな写真になったかもしれませんが、そうじゃないんですよ。とにかく全方向的に品がよくて、目のやり場に困ります。いやあ金持ってますなあ旦那。くれよ。

 

挙句、1907~27年あたりは「オートクローム」の作品がありました。これはカラー写真の先駆けになるもので、非常に高価だったので使える人が限られていたそうで、やっぱり金持ってますなあ旦那。くれよ。

 

ちなみにオートクロームは、じゃがいもの澱粉をRGBの三原色に染めたものを混ぜてガラス板に塗布し、カラーフィルターの役目をさせて感光させるという仕組みで、最古のカラー写真です。(写真に直接着色するものを除く) 

 

兄貴が自作の人力飛行機を飛ばしたり、仲間がテニスやカーレースに興じている写真を見るとですね、なんか遠い星の人を見ている感がありましたね。よりによって、動きの激しい場面をかなり撮っていますが、これらを一発でかっこよく撮し止めるには現代のデジカメでも苦労するはず。つまり没写真の枚数を想像すると、こいつマジで金持ちだなと恐ろしくなるわけです。富っていいですね。

 

余裕っぷりは人生そのものにも現れていて、年表を読んだら結婚を3回しています。えっ。私まだ1回目もないんですけど?  うわあ。めまいがしました。どういうことや。

 

2人目の妻は写真がなかったように思いますが、1st妻と3rd妻の2人、それ以外にも懇意にしていた女優だかモデルだかの女性ら数名、いずれも美人が、ぎょうさん登場しますです。わああ。けしからん。いけすかないですね。全力でずるい。

 

ラル様の写真を観るときには、お堅い写真評は不要であります。上記のような平民のあれやこれやと照らし合わせて観ていくのが面白いでしょう。

ラル様は20世紀幕開けの最新鋭のテクノロジーと流行が濃縮された環境にいてはったので、写真史・機材篇と捉えて観賞すると分かりやすく、有意義でしょう。何なら女性の口説き方も教えてほしいものです。まあ写真めっちや上手いからなー。これはモデルさん喜ぶわ。そういうの大事だなー。いつも変な加工してモデルを困惑させるんですよ私。性癖いがんでるんかな。まあいいです。

 

さてラル様の人生は、一次大戦、二次大戦をがっつり挟んでいるはずですが、むしろその時代の写真がごっそり抜け落ちていました。嫌だったんですかね。

日記を付ける上で彼は、「自分の主観から離れて客観的事実だけを記録したい」という独特なスタンスについて語っていました。

戦中の不穏さ、不安が写真に写り込むのを避けたかったため、そういう写真を遺していないのか、本展示のセレクトの意図なのか、そこは不明です。

 

それでも明らかに戦争中の時期に、避暑地みたいないい感じの所で、仲間らと悠々やってる写真があったりしたので、「戦禍? 何それ?」って感じで、ラル様無双でした。世相シャットアウト。うへえ。

 

いかなる時期にも美女が被写体になっていて羨ましいし、お金くれよ旦那とか思いましたが、歳と結婚歴を重ねるにつれて妻への眼差しが「恋から愛、愛から情へ」変化している、と女性陣が指摘していました。なるほどでした。

 

そういう展示でした。余裕があるっていいですね。写真はめっちゃ上手いです。やばい。小金持ちのピクトリアリズムおじさん達とは次元が違います。写真の神に愛されていたんですね等と無難なことを言って〆ます。

 

 

物販で伊藤若冲めっちゃ売ってて楽しかったです。女性陣がガチャひいていました。鶏は当たらなかったようです。残念。

 

 

 

 

 

 

効能として、エリオットとラル様を観てしまうと街中スナップをめっちゃ撮りたくなり、自分の作品テーマが頭から吹っ飛びます。かなり強力な刺激です。ついに私も禁じ手としていた「道行く人のスナップを撮る」をやってしまいました。家に帰ると壮絶に下手なスナップ写真が多数残されており人知れず泣きました。慣れないことをするものではありませんね。

 

 ヾ(๑╹◡╹)ノ   楽しい1日でした◎