写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真表現大学】H30.5/20(日)研究ゼミ3 / 「メディアと教育」、合評

【写真表現大学】H30.5/20(日)研究ゼミ3 / 「メディアと教育」、合評

 

今年度の「研究ゼミ」が始まりました。

 

みなさん「メディア」と「教育」って、どんなものをイメージしますか?

 

 

(1) メディアと教育について

 

●メディア = 電話、FAX、テレビ、スマホ、Web、動画配信、等々

 

ですよね。

VR、ARなども使い勝手が広がってくると、「メディア」化しそうですね。

 

ではこちらは。

 

●教育 = 人が人に知識や技能を教え伝えて、心身両面の成長を促すこと

 

ですよね。

 

何を教えるかによって手法は異なりますが、基本的には、「教え手」(先生、講師)と「生徒」の間をつなぐ環境、装置が必要ですね。

また、生徒同士が交流し、意見交換や相談を交わすことも、「教育」の場では重要なことと考えられます。

 

こうした学び、教え、交流の「場」そのものが「メディア」とも言えるでしょう。すると、皆の集まれる教室や喫茶店、チャットルームなども広い意味では「メディア」と呼べそうです。

 

畑先生「皆さんもご存知の通り、今年度からこの写真表現大学では、Facebookでグループを作って、授業の連絡事項やレポート提出の場として活用しています」

 

 

「これは、メディアと教育とを結び付けて、メディア系の教育機関としての更なる展開を考えているためです」

 

 

現状で出来ること・・・

 

 

それは・・・

 

 

先生「今年度からは、SNS授業” に舵をきります」

 

 

\(^o^)/ Facebookに買収ですか?

 

 

「違います。」

 

 

\(^o^)/

 

 

SNS授業とは?

✖ SNSの使い方講座

✖ 1ヶ月でTwitterフォロワー1,000人獲得するためのたった3つの方法

✖ blog運営だけで月30万円稼げるようになるためのSNS交流術

◎ Facebookの新機能を活用した「新しい学びの場」

 

 

ハウツーの切り売りなんてしないんですよ。

 

まずこちらをごらんください。

 

【図表】メディアと教育の変遷

(※授業の板書を書き起こしたものです)

 

ざっとこのように、昭和から現在にかけて、教育におけるメディアツールは変遷してきました。すごいですね。

 

私が受験に勤しんだ90年代はまさに「ネット授業」全盛期で、大手予備校が独自の衛星を飛ばして、各地方に「サテライト校」を設置していました。そこにリアル講師はおらず、東京のドル箱・名物講師の授業が中継されるのでした。

 

また、私が就活に勤しんだ2000年代初頭は、「テレビ電話」を活用した独自の会議システムを商材にした企業が色々ありました。英会話のナントカという会社も、ナントカネットとか、もっともらしい名前を付けて、絶対高そうなシステムを売っていました。直感的に辞退したりしました。

 

数年前、職場で「Skype会議ちょっと考えてよ」とえらい人に言われ、システム部門に問い合わせたところ、「あれは途中で途切れるし、音質とかもよくない」「それに一般のWeb回線だからセキリュティ上ムリ」と、丁重に全否定されたこともいい思い出です。

 

そんなこんなで、

教育におけるメディアの特性は、時代が下るにつれて、以下のような変化(進化)を遂げてきたと言えます。

 

〇双方向化 (送受信可)

〇フラット化(個人対個人)

〇低価格化・無料化

〇回線の大容量化(→動画・音声中継の安定化、メンテナンス負担軽減)

 

 

( ´ - ` ) すごいですね。

 

そして時代はSNS

 

一時「SNS疲れ」というワードがありましたが、次々にサービスを増強してバージョン改定を続けるFBです。疲れている暇がありません。

 

 

最新のトピックとしてSNS授業」Facebookの活用を謳っているのは、つい最近(H30.3月下旬)、PCからのライブ動画の配信(ストリーミング)が可能になったためです。

 

( ´ - ` ) 私が大学生だった頃は、youtubeもLINEも無かったのですが、

 

今や図書館の運営する写真・映像系スクールが、

 

〇授業に関するお知らせ通知

〇課題作品、授業レポートの提出

〇撮影技術、機材などについての質疑応答

 

を、Facebook上で行う時代になりました。隔世の感があります。

 

現在はモデルケースとしての利活用ですが、これにゆくゆくは、動画ストリーミング(中継)を結び付けたサービスを模索していくような構想が語られました。

 

そうなると、距離の離れた地域での授業や、生徒のサポートにも展開の幅がもたせられます。写真データを用いた質疑応答や、機材の質問をリアルタイムで生徒らがやりあい、必要に応じて講師がフォロー(修正や追加提案など)をするといった、「質問サイト」的な運用も考えられます。

 

「技術とは、開発した国にではなく、それを使った国に恩恵をもたらす」といった趣旨の格言を聞いたことがあります。

(中東のドバイなど富裕な国がオイルマネーで各国の先端的な製品・技術を買いまくっていた時に、そのような趣旨の記事を見たような気がします。高コストでも生活に最新技術を投入することで、それのエッセンスを得られるのだと。)

 

最新の技術を使い倒した者だけが、次のステージを肌身で「理解」できるということかもしれません。やっていこうぜということです。やっていきましょう。

 

 

◆「SNS授業」に不可欠なもの

 

しかし上記のようなSNS授業」が成立するためには、

必須要件が一つあります。

 

 

なんでしょうか。

 

 

答えは、

 

 

「リアル授業」です。

 

 

実際に「ライブ」としての授業、生の指導を行い、生の人間関係を構築しているから、「SNS授業」は成り立つのだと先生は言います。

 

なぜなら、

 

 

「コンテンツ」だけの商材は売れない。

 

 

いかに講義の動画中継をSNS上に盛り込んで、メインコンテンツにしたとしても、

 

 

「みんなが参入してくる」

 

つまり

 

「どこも同じ」になり得る。

 

 

ノウハウの切り売りだけになると、そこいらのblog、有料メルマガや有料Note記事と変わらない。

 

豊富な知識と経験に裏打ちされた講師による生の指導と、生徒自らがプレゼンを繰り返すことで、付加価値の高い経験を得られるのだということです。

 

それに、SNS上では、生徒も講師もフラットな立場(=対等)となり、「双方向」でのやり取りが可能です。

 

そのため、

 

「Webコミュニティの場の管理」も重要となります。

 

 

場が荒れる、衰退するといった課題は、Webコミュニティではつきものです。

 

リアルの場で面識がある者同士であれば、節度のある人間関係がスムースに実現できます。

 

また、リアル授業の側で出された課題を、SNS側でアウトプットするように仕組みが作られていれば、よくある「Webコミュニティが過疎る」という悲劇は回避できます。

 

不便・不具合があっても、利用者がいる限りは、改善要望が出たり、解決案が出されたりして、交流の場は生きていきます。

 

Facebook側の仕様の問題によって、本格的に継続が困難になった時は、それはその時に運用を改定すればよいのです。

 

 

既存の”リアル授業”と、Facebookのコミュニティ機能を活用した”SNS授業”とを両輪で回していくこと。

 

 

これが、今年度の「大阪国際メディア図書館」の試みとなります。

 

 

と先生がおっしゃっていました。

 

 

( ´ - ` ) FBの友達が増えるのでありがたいです。

 

 

ひなびた現実世界と、変容し続けるWeb世界を行き来しましょう。

 

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(2)研究ゼミ3 授業(合評)

 

ここからは通常のゼミ進行(合評)です。

 

コンパクトシティ / 楠田さん

前年度は、仕事で滞在していた三重県松阪市にて「コンパクトシティ化」の波をとらえていた楠田さん。今年度から長崎県での滞在となり、長崎・佐賀を舞台により一層のコンパクトシティ撮影です。

 

新作。

人の家だが、謎の装置が写されていて、大いに気になった。

 

左端は、昔から使われている民家の物干し竿の支柱。中央の写真は、屋根のソーラーパネルで得られた温水を溜めておく装置らしい。へー。見たことがない。

 

これらの作品を踏まえて、

「カメラ雑誌や旅行雑誌が買ってくれなさそうな写真を、自分の作品として大事にしていくこと」という締め括りになりました。

 

この指摘には、重要なエッセンスが詰まっています。「絵」にならない写真に何を読み取るか。ドキュメンタリーとしての本質がそこにあります。

 

 

◆鷹岡さん / 花シリーズ(桜)

 

 

枯れてゆく花の「命」を撮り続ける作家・鷹岡さんですが、月光と共にある桜の蕾を撮った1枚を差し出し、これも作品に加えてよいですか? と評を仰いでおられました。

 

艶めかしい。

 

それは、「桜」としての花を開く前の、さなぎのように身を丸めている状態のものでした。花弁を折り畳んでいることで、ピンクがより濃密に集まり、何とも言えない艶めかしさがありました。

 

 

◆わたし / ゲーム脳 ✖ 都市(大阪・梅田)

 ( ´ - ` ) 都市がサブカルだ、都市がゲームだ、私ゲームになります、お脳がゲームなんですと言ってきましたが、「いや大阪ってけっこうな歴史あるんちゃうん」と我に返って慌てている昨今です。慌てています。

 

それは、村野藤吾です。

「ちょっと待って! みんな! 建築家の魂を思い出せ!」と、急に古文書の封印を解いてヤバい光を浴びた人みたいなテンションになっています。人生そういうもんです。忙しいですね。忙しいんですよ。

 

 

  

 

 

現在進行形で梅田は再開発が進んでいるのですが、村野藤吾の設計した換気塔は全く色褪せず、過去と未来の間を漂うオブジェとなって、日常に溶け込んでいる。1963年の建造物ですよ? 大阪万博(1970)よりも昔の物件です。

 

この存在感は何なのか。今なお生きて、私たちに伝えようとしている力は、どこに繋がっているのか。受け手によって答えは異なると思いますが、では私に関しては、どうか。

 

村野藤吾モダニズムの思想家たちが産み出した「都市論」は、必ず「今」にダイレクトな影響を及ぼしているはずです。地下水脈と言えるでしょう。そこを視ないと、「今」を理解できないのかもしれません。

 

という話です。

 

きっかけはKYOTOGRAPHIEです。

 

KGを観に行っては、アホほど時間をかけて、アホのようにblog記事を書きまくったせいで、だんだん自分自身をも批評し始めたのです。

 

目線が一瞬キュレーター化し、「この人のやっとることを、世に出すにはなあ・・・」「大阪とか梅田とか、言うとるけどなあ…」「大阪とか梅田の話を、せなあかんのちゃうかなあ・・・」「歴史の話がいるなあ・・・」などと自分自身に指摘が入った次第です。そういう効果もあるので、皆さんKGは観た方が良いですよ。

 

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そんな感じで「研究ゼミ」は幕開けしました。今後は個展に向けた計画の策定や詰めなどをしていきます。

 

帰ります。

 

 「TSUMUGI」というパン屋で「クルミ食パン」のできたてを買ったら、やばいぐらい美味しかったのですが、明らかに2人分ぐらいあり、低血糖を来して昏倒しました。パンは凶器だと思いました。しかしあれはひどく美味しかった。麻薬ですね。喜びました。

 

眼も見えないし、意識も真っ暗だし、はよ帰ろうと思いましたが、さいごの力を振り絞って梅田でパーツ撮影を試みます。パーツ、パーツ、都市のパーツを一万個集めると幸せになる。なろうよ。

 

 

 

 

( ´ - ` ) パーツ収集に失敗しました。こういう日もあります。

 

使い道がない。梅田のノイズ感だけ味わって寝ましょう。

 

完 ( ´ - ` )