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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART-写真展】石内都「肌理と写真」&「絶唱、横須賀ストーリー」@横浜美術館

【ART-写真展】石内都「肌理と写真」@横浜美術館

H30.2.23(金)

念願の展示に行きます。

石内都の大規模な個展です。作家の歴史の総集編であるとともに、展示構成:壁面の色使いや作品の配置方法に相当な工夫があり、つまり生で見ないと絶対に損します。生です。生で見ましょう。

本展示は写真撮影可能スペースがあるので、カメラかスマホを携えて鑑賞することをお勧めします。

 

横浜トリエンナーレ2017以来の横浜です。この展示をみるために無理して予定をぶっこみました。結果的には無理してよかった。とても満たされました。「好きな写真を好きなように撮っていこう」という気持ちになります。予定の無理をしたので大阪に帰ったら我に返ってたぶん泣きます。ああん。

 

 

美術館を入ってすぐに巨大な絹の世界が始まっていて、蚕の繭すらデザインの一部として溶け込んでいることに驚かされます。絹の夢を見ます。見ましょう。

 

 

 

 

 

本展示の意義や、石内都という作家については以前の記事が参考になります。 

 

おわかりいただけたことにして。

 

フロア構成は、ほぼ作家人生の時系列です。なお処女作の「絶唱横須賀ストーリー」だけは別枠扱いで、離れた展示室で展開されています。館内を歩くことで、作家の足取りを追うとともに、その作風から写真史を辿ることもできます。

以下、鑑賞メモ。

 

1.横浜

1975年から横浜の自宅に暗室を構えて写真家としての活動をスタートし、そこで最初期の作品から「Mother's」までが制作されたとのこと。展示空間全体を作品とするため、本来ホワイトのはずの美術館の壁面が水色に塗られており、けっこうレアで凄い。

(1)Apartment

1977-78年の作品が主。若さを感じる。なぜだろう。描写の質感か、シーンの切り取り方のせいか、素朴だけど力強く、どことなく親近感が沸く? 作家の原点となるモノクローム写真だけあって力強さと勢いが感じられた。

日常の生活光景、脱ぎ散らかった玄関の靴とスリッパ、住人の生活の姿と、階段の奥に、終点のない魔窟のような闇の深さがある。小さな物件のはずなのだが、「ドロヘドロ」の終盤のデパートのように階層に終わりがない感じが、作家としての世界観の深さを感じさせます。

 

(2)連夜の街

歓楽街だが、写真はにぎわっていない。むしろ虚ろさを湛えている。かつて賑わい、危険で猥雑だった後の姿、歓楽街の遺稿のような姿が撮られている。昼間で休んでいるのか、客が来なくなって衰退したのか。持ち主を失った抜け殻のような姿が、夜のあとを伝える。昭和という時代のザラザラ感が伝わる。同じ日本でも現代とえらく違う・・・「昭和」を再認識しました。

カラー作品もあり、それがとてもじっとりと重くて良かった。腹に溜まる感じがする。アパートの並びを見ていて飽きない。くすぶるような都市のはざまの生活者の、住まい。

 

(3)Bayside Courts

1988-89の作品。

横浜新山下「ベイサイドコート」は、中区中心部の接収解除後、進駐軍が帰還するまでの一時的な住まいとして使われたとのこと。写真では住人が誰もいなくなり、抜け殻となった物件の内部が撮られている。

が、我々が撮れば単なる廃墟愛好家あるいはモデル撮影の舞台にしてしまうところ、石内氏はその内側の「肌」を力強く撮る。強い。これは強い。

壁面の塗装が経年劣化によってぼろぼろと反り返って剥落する姿は、モノクロームでしっかりと焼きこまれると、その陰影、内側からの反りの感触があまりに生々しく、私はあまり見つめることができませんでした。脳がじりじりする。悪性の皮膚病、羽化の失敗、そういう類の、強い映像でした。後に石内氏が撮る人間の肌や衣類とは逆に、非常に生理的な映像。焼き具合はむしろ優しいのに・・・。

置き去りにされた冷蔵庫やベッドを単体で捉えた作品は、やさしい。

 

(4)yokohama 互楽荘(ごらくそう)

1986-87の作品。

1932年に「震災復興のため」あの有名な同潤会アパートと同時期に建てられた物件との記事を見つけた。なんの震災?関東大震災は1923年だから古すぎるし…。後に進駐軍による性犯罪を恐れた国の通達により「特殊慰安施設協会」が設立され、互楽荘に慰安所第1号が設置されたという。

これもベイサイドコートの写真同様、塗装の剥げ、反り、暗黒の点々がもはや都市の悪性皮膚疾患で、脳の表皮を掻きむしられるような作用がありました。人によってはダメかも。光の効果を使ったりして空間の壁面を溶かしたり、闇の質感を立ち上げたりしている写真は素敵だった。いつまでも見ていられる。石内氏の、平面を覆うテクスチャーに対する関心が深いことがよく分かります。

 

(5)金沢八景

1975-76年の作品。純粋に暗室作業とか楽しかったんではないだろうか。コンポラとプロヴォーク的な要素が混ざった、粗い粒子での日常風景。空、雲をめきめきに捉えていて力強い。都市の立体的な姿、商店の立ち並ぶ様子やバスの停車しているのを上から撮るなど、撮ってて楽しいに違いない、非常に共感できるカットばかり。いいなあ。

 

 

2.絹

撮影可能エリア。これは五感で、空間で体験していただきたい。

 

しつれいおます。

 

 

 

壁面が高い。5,6mはあるぎんいろの壁に囲まれた一室で、無数の絹織物のテクスチャーが舞う。その色彩の鮮やかさ、大胆さは驚きで、もっと古めかしくて地味なものを想像していたが、前衛芸術と呼んで差し支えない素晴らしい色の冴えです。岡本太郎が好みそうな強い群青、白、赤、黄色を用いた作品もあり、「銘仙」の世界観に驚きです。

 

 

「絹」や「織物」は石内氏の生まれ故郷であり、また制作のルーツでもあります。多摩美では染色を専攻されており、写真の暗室ワークは染め物の延長線上のような感覚で取り組んでいたというから、その縁はとても深いものがあります。

 

 

スケール感が全然伝わらなくて申し訳ないが、身長181㎝の私のアイレベルでこれだから、何となくわかっていただけないか。めっちゃ高いんですよ壁面。作品となって飛び立った絹たち。

 

 

そうそうこんなかんじ。

高いよー。 

 

その基部では、養蚕業の現場と桐生(の何故か桐生が丘遊園地)の写真。蚕の繭から糸を紡いでいく工程が写し出されることで、織物として会場上方へと飛び立っていく姿を目で追うことができる。むしろ、銀色の壁面と養蚕工場の写真に囲まれて、自分自身が蚕の繭になったような気分。

 

 

「紙を切ってるっていうより布を切ってる」と語る石内氏の映像。氏の、明るくて丸みのある声が繭みたいで癒されます。

 

3.無垢

「Innocence」

90年代~2017現在の作品。ピンクの壁面で展開。

女性の体の傷跡を撮った、石内氏の代表作。眼差しのやさしさの強度が桁違いのため、傷が傷には見えないというすごいことが起きている。そういうものとして、違和感なく見れてしまう。まるで最初からそれはその体と共にあったもの、であるかのように。

リストカット痕も背中の傷跡も、すきまから差し込んだ光の形に見えたし、片脚全てを覆うケロイドも、そういう衣装というか、本人が自然に纏っているもの、に見えた。実際「あっこれケロイドじゃん、すごい火傷しはったんですね」と我に返るまで時間がかかった。主義や争点化から入る男性目線の写真ではまず不可能だったと思われる映像。傷を語っているはずが傷のことは語っていない。傷が遠のいて、被写体となっているその人そのものの存在がそこにいる、ただそれだけ、という、とても大きな世界。

信じられまへん(・へ・)ノ sugoi. 

 

 

4.遺されたもの

(1)フリーダ

黄色と青の壁面で展開。2012年、フリーダ・カーロの遺品を撮影した作品群。遺品どころではなく、フリーダご本人がそこにおられるかのような錯覚を引き起こす、おそるべき作品。2016年の資生堂ギャラリーでの展示ではもっと濃厚にフリーダ様降臨現象が脳内で起きてびっくりした。あれは何が起きたのか自分でもわからなかった。

本展示は資生堂ギャラリーより大人しく、振り返りとなった。それでもじっと見ていると、コルセットはモノではなくフリーダ様の胴体、皮膚を剥がした肉体として立ち上がってくるし、やはり現出なさる。


(2)Mother's

たった3点だがパワーがすごく、私の中では事実上の主役級だった。母親が亡くなった際の遺品を撮影したシリーズで、超有名な作品だが、実物がここまで強いとは思っていなかった。フリーダ様の遺品がとろみ、揺らぎをもって柔らかく撮られているのに対し、こちらは口紅が弾丸の薬きょうに見える。ガシッと掴みかかるような力強さで撮られている。母親の遺品に対してここまでの強さで臨む心境とは一体。とても好きな作品。

 

(4)ひろしま

もはや普遍的な記号と化した世紀・世界のトラウマ、「ヒロシマ」(=原爆)を、作家個人の眼差しによってひらがなへと読み替えた秀逸な取り組み。広島と言われないと気づかない作品群だが、それでもこの、持ち主なきズタズタの衣類たちが光の中に漂い、ゆっくりとこちらに歩いてくる姿は、何かとんでもないことが起きてしまったことを深く知らしめる。

自然光の逆光で撮られた衣類は、光の力によって、まるで主がいるかのように立ち上がっています。そして、こっちへやってくる・・・

 

 

すごいんすよ。写真集やカタログでは体感できないと思われます。

一旦、展示本編が終了しつつ、コレクション展をはさみ、そして。

 

 

絶唱横須賀ストーリー

超レア。そして撮影可能エリア。

全てが貴重な資料になると思います。目と画像素子に焼き付けましょう。

 

デビュー作しかもヴィンテージプリントです。最初、ニコンサロンで展示したときのものを今回改めて展示しているので、写真をじかにピンで留めた痕の穴などが生々しく、それがモノクロの粗い粒子、傾いた視座のスピード感などと相まって、非常に面白い。

 

 

 

そして純粋に「モノクロのスナップ写真はめちゃくちゃ楽しかった」ことを思い出しました、体のレベルで思い出した。私は2000年あたりでハマりましたが、モノクロフィルムと暗室作業は、本当に楽しかった。フォトショがどれだけ進化しようとも、あのなんていいますか、世界の手触り感やスピード感というか、この世の大いなる影の秘術を掴んだような悦びは、他に代えがたいものがあります。そういう原初の悦びを思い出しました。こう、見渡す限りの銀鉱をざくざく掘り進む感じで。世界が漆黒の銀になる、あの悦び。

 

 

写真集の帯に森山大道が寄稿していて、この写真群は「あざとさ」があると何度も指摘しており、それが何なのか結局分からなかった。あれかなプロヴォークの第一線で体を張ってた側としては、十年後輩の当時若かりし石内氏に何か思うところがあったのかも知れない。それぐらいプロヴォークに影響されているであろう粗さで描きつつ、それでもやはり眼差しは、どこか柔らかくて優しい。

 

 

 

 

 

強烈にアメリカを意識してくるのがやはり面白いです。時代は20年近く違えど東松照明の日本と繋がってくる。

 

 

 

たまらん。通いたい。

結論として、写真ってもう、自分の好きなように徹底的にやりこんだらいいんではないかということがわかった。めちゃくちゃにやったらよろしい。よろしおす。ええ。もう。めちゃくちゃに。ええ。

 

(-_- ) 謎の悟りを得ましたが、関東は通行人が無神経で、なんかぜんぜん避けてくれないし、避けても当たるし、すまんの一言もなく、「おまえらはAI以下だ」と駅構内で憤慨していたら、感動が薄れてしまってしょんぼりしました。六本木で安酒を飲みながら寝ます。今ネットカフェでウォッカあおりながらこれをかいている。