写遊百珍

関西をメインに、美術館・アートイベント、登山、廃墟、珍スポットなど珍奇なものをご紹介。

【diary】H30.1/13(土)表大仲間で新年会 @福島 スペイン料理の店

【diary】H30.1/13(土)表大仲間で新年会 @福島 スペイン料理の店

 

米国が「炎と怒り」でバノン氏あたりを中心に熱くなっているのと逆に、列島は最長最強の低気圧に覆われ、あまりに寒くて絶望的でした。拙宅は冬になると屋外と同等かそれ以上に寒いので非常に困ります。困ってるだけで特に何もしませんが。魔法使いを雇いたい。メラミ。

 

写真表現大学2016年度生が召集され、新年会が催されました。闇を蹴散らせ。

 

 

本当は「西光祐輔写真展」に誘われており、乗り気だったのですが、諸般の事情があれしてどたきゃんしました。

 

<★Link>

  西光祐輔写真展 THE NIGHT

ロケーションがよく見ると「千鳥文化」「コーポ北加賀谷」、これって文化住宅ですやんね。しまった。行けばよかった。文化住宅の観察、潜入は大好物です。

 

家で何をしていたかというと、12月下旬から東松照明を読解して論述し、自分の作品制作のテーマを再考するという、よくあることをしています。全然筆が進まない。たぶんblogの書式に慣れすぎたせいです。

「ボタン押したらすぐ皆の目に触れちゃう」というblog特有の臨場感でわけのわからん語りをしてますゆえ、Wordで延々と「だ・である調」を打ち付けていてもドーパミンの分泌が催されなくてキツい、ということでしょうか。あと「真っ当な論述だから間違いは許されない」という変な縛り感から、主観に基づいた見解や発見を封殺してしまっていて、全然面白くないものになりそうなので、良心の葛藤があります。ぐげぐ。

 

 

踏切注意の神。

 

わめいていても仕方ないので18時に家を出て19時の待ち合わせに間に合わせます。何がきついかというと、東松照明は戦後写真界の「巨人」と称されるぐらいの大物、かつ、現代のフォトドキュメンタリーの基礎となる手法、姿勢の源流を切り拓いた一人であり、つまり評論が多い上にかなり重厚な研究が成されています。

 

それらを読んで意味を理解するだけで相当な時間を要し、それぞれの評論における指摘事項の比較や接続などをやっていると土日がすぐ終わります。ごきげんで登山に言ったら道に迷って下山できなくなったパターンです。まあ道らしいものは見えているので稜線まで時間かけて歩くだけですが、突破が無理っぽかったらblogの文体に戻して書き進めます。学術性より自分らしさが大事なような気がしてきました。うへえ。

 

 

 

( ´ - ` ) とりあえず飲みます。

 

 

本日のお店は福島のスペイン料理です。

「BANDA」にしました。

 

tabelog.com

 

 

最初の一杯は「デビュー当時の広末みたいな」白ワイン・アギラを飲みます。

 

 

かんぱい。

 

 

( ´ - ` )、

 

 

「透明感で清楚やって、そんなもんに限って下半身どろどろやで」

 

 

( ´ - ` ) はい。

 

 

おとなの悲しさと甘酸っぱさを噛み締めながらキャンドルでも焚きましょうかね。私たちの世代ではともさかりえの後に広末が来て、後に黒あゆと白あゆが同時に出たりしました。銀行が破綻したりして概ね良い時代でしたね。

 

 

くすのきさんから二眼が持ち込まれました。商会再びですね。

 

 

※前回のレンズ商会

 

mareosiev.hatenablog.com

 

 

 

 誰かが狂ったようにマニアだと、こういう時に融通してくれるので、とてもいいですね。フィルムカメラを使う機会はなかなかありません。

 

 

 

パンにぬるとおいしい。

 

 

子供の抜けた歯が歯茎に刺さった話とか、子供のインフルなど家庭のサバイバルな話を色々聞きました。たいへんですね。私は作品のテーマタイトルが思いつかなくて発狂しています。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワインがおいしいです。

石野卓球めいた味のやつを頼もうとしたら品切れで、脳を電グルにすることができませんでした。残念。

 

 

酒と二眼レフが交互に飛び交います。

 

 

二眼の使い方講習があります。像が箱の中で結ばれるのを目の当たりにするだけでけっこう感動し、写真は純粋に楽しいものだったことを皆が思い出しました。デジカメは確実に何か大事なものを奪い去ってしまった気がします。あれあれ。

 

 

 

昔のカメラのことはみじんも知らないのですが、このローライコードは可愛くて品がありました。EOS 5D Mark Ⅲは飾りのない公務員みたいな子ですが、ローライは存在自体がおしゃれです。いいなあ。

 

 

 

 

 

雪国ではスプリンクラーの水が雪の下に潜り込むから長靴で歩かないと氷水に足を突っ込むのだ、という話を聞きました。楠さんの福井県暮らしの話は未知のリアリティがあり、大学時代に寮で酒飲んで目を覚ましていたら眼鏡に雪が積もっていたとか、死人が出なくてよかったなあと思います。北陸は修羅の国か。

 

 

なぜか京都と大津ではカメムシが大量に生息しているらしく、洗濯物についたり屋内に入ってくることが日常茶飯事だという報告がありました。「あたしんとこは〇✖△□」「いや僕のとこもね〇✖△□」「そんなんうちはもっと〇✖△□」「いやいやいやそんなんいうたら僕かてね〇✖△□」 10代の恋バナの応酬のようにしてカメムシの出現頻度の殴り合いです。恋のかめむし。

 

大津に関しては水田がカメムシの発生源になっているような調査結果があります。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjeez/18/1/18_43/_pdf

 

今年は台風18号の被害によって、特に鹿児島県でカメムシが大量発生(人里へ集中?)したことが話題になっていましたね。もはやただのグロ画像で、これ食糧とか漢方薬に出来たらいいのになあと思い出すたびに思います。キモイー。

 

xn--28ja0c7gc9602du2ve.jp

 

キモイー。

 

沖縄のナナホシキンカメムシは煮沸後に凍らせるとアイス感覚で食べられるとキモうまグルメでやっていましたので、何らかの選択肢がありそうな気がします。藤田ニコルがいつも「イ~~~」て顔しながら「あっ美味いぢゃん」てばりばりキモうま食材を美味そうに食うのを見ててなぜか幸せな気持ちになります。うふ。

 

 

 

全体的に料理がおいしく、ご飯ものは一瞬でなくなりました。わあい。

カメムシの成虫の天敵はカマキリぐらいのようです。臭いので鳥も嫌がりますが、カマキリは触覚で匂いを感知する? ぐらいで、鳥類ほどちゃんと不快さを感じていないようです。カメムシをすりつぶして粉にしたら勢力絶倫になりませんかね。

 

 

二眼でみんなおかしくなっていました。カメラオブスクラが発明されたとき人類はこんな感じでおかしくなっていたのだろうなあと思うと胸がきゅんです。おかしくなる。

 

 

 「敬語が完璧な滝沢カレン」という評価のワインなどを飲み、日本語が逆流暢になった気分にひたりました。カレン天才説が飛び交いました。

 

 

 

ちなみに私が奇怪なスナップを撮っているのはソニーのRX100M3です。これがよく働き、EOS 5D Mark Ⅲを振り回すのが不適なシーンで小回りをきかせることができ、重宝します。TG-4 toughより画質が圧倒的に良いのも頼れるポイントです。

ただしボディの各種ボタンを容易に押し間違う、指で掴んで直感的にパッと撮ろうとすると要らんことになります。レンズが沈胴式のため操作がもたつき、もうこれ以上わるぐち言うのやめるごめん。

 

 

美味しかったです。19時に入ったら22時を回りました。人生が刹那です。記憶が追い付かない。補助脳が欲しいといつも思います。肉体も数百年もつのを欲しい。

 

 

ジョジョバーではないはずだが。

 

 

 

びっくりしておるのか。 

 

 

 

楽しかったですね。現実感のあるうちに解散します。

 

 

 

東松写真の真骨頂は神聖を帯びていることです。モノそのものに語らせることによる唯物論的な視座にあり、作家自身を「非=作者」として後ろに下がらせ、主客転倒させるところに、映像の凄味が生まれています。

そして彼の眼差しは実は「死」であること、彼の撮るモノであれ時代性であれ通奏しているのは「死」への強い関心であると指摘されています。戦後日本は死と無意味そのものであり、桜は言わずもがな、台風・洪水で滅びた家屋や家財道具も、原爆で焼かれた遺品も、それらは死であるというのです。

この点について私は、東松の都市写真についてはプラスティックやアスファルトなど、「無死」の象徴、死を超えているもの、死を伴わないイメージ群=都市文化の本質を突いたものであると見なしました。エクスデスな表層同士の界面(インターフェイス)は、現代都市への接続面(インターフェイス)となって、我々の都市生活=プラットフォーム:ゲームやWebサービスの起動する場であること、を予見するものであったとして読解でき、引き継いでいけるのではないかという構想です。

 

 

( ´ - ` ) 書けるやん。

 

やっぱりblogで書くべきだった

 

 

完。