写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真表現大学】H29.12/17(日)特別公開講座「今、求められる女性のまなざし」(講師:綾智佳 先生)

【写真表現大学】H29.12/17(日)特別公開講座「今、求められる女性のまなざし」(講師:綾智佳 先生)

 

「The Third Gallery Aya」オーナー(ギャラリスト)にして、大阪国際メディア図書館の理事、綾智佳先生の特別公開講座ですよ。

 

 

本講座では、H29.12/9から横浜美術館で開催中の、石内都「肌理(きめ)と写真」の展示について、ギャラリストとしての関わりや、展示光景と石内作品の概要を解説。イントロダクションとして、ギャラリーの位置づけとは何か、綾先生がギャラリー運営を志したきっかけは何だったのかが語られました。

 

以下ログ。

 

 

(1)ギャラリストになった契機と遍歴

・大学時代に写真部に在籍。撮ったり見たりするのが好きだった

 →後に「写真を見ることが好きだった」と気付く

 

・大阪国際メディア図書館の前進、大阪国際写真センター主催「リバティ表現大学写真講座」にてディレクター講座を受講。その後しばらくスタッフとして活動。

→「写真を撮らない」写真のプロフェッショナルとなることを選ぶ。

 

・1996年、写真専門ギャラリー「The Third Gallery Aya」オープン。

・「写真」、「関西の作家」、そして「女性作家」を扱うギャラリーという3本の柱を基本コンセプトとして運営。

 (※ 後に写真と現代アートの垣根が薄れるなどしたため、現在は現代アートも扱っている)

 →石内都のファンだったので交渉。現在に至るまで長い付き合いとなる。

  

・近年、石内都が爆発的に評価され、世界的にもえらいことになる(2014年、写真界のノーベル賞とも言われる「ハッセルブラッド・アワード」受賞)

 (※ ちなみに2015年はヴォルフガング・ティルマンス

→多忙を極める

 

 

 

石内都については、風景やポトレ写真を趣味にしている人よりもむしろ、現代アート好きの人のほうが接点がありそうです。近年、美術館で石内都の作品を目にする機会はかなり多いと思います。かくいう私がそうで、数年前まで、写真界のことは全然知らないものの、W・ティルマンス石内都杉本博司、米田知子あたりについては度々目にしていました。

 

 

現在展示中の石内都「肌理と写真」会場の様子。クライミングジムかとおもうぐらい天井が高い。鬼だ。

 

 

(2)ギャラリーの役割、立ち位置

・「ギャラリー」の定義=「ショップです」

  美術作品を売って食べている。

 

・商売=市場に乗せる以上、「写真」には区別がある

 (趣味としての写真 ⇔ 売買の対象となる写真)

 

・市場で取り扱われる以上、ルールの厳密性が重要

 (写真 ≒ お金 ← 実体はただの紙切れ原理的に量産が可能

 

・写真販売におけるルール:プリントの時期、種類と価格の設定

 (ヴィンテージプリント、エディション(限定部数)、モダンプリント等)

 

・写真の売買パターン

 ①作家とギャラリーが組む →ギャラリーが作家の思いを実現 →マーケットに売り出す→作品として世に出る

 ②クライアントから受注 →作家(カメラマン)がCLに納品 →広告・宣伝、製品として世に出る

  

 

 天井が高い…。

 

(3)石内都と作品について

横浜美術館「肌理と写真」展示

・石内氏は会場全体の見せ方をインスタレーションとして捉え、各作品の大きさや位置に大胆な緩急をつける。

・高さ7mある壁面をたっぷり使って展示を構成。各フロアは展示作品のイメージに合わせて壁面をペンキで塗った。大胆!

 

・「肌理」とは「grain(粒子)」の意。

 群馬出身 ←養蚕、製糸、織物が盛ん。くず繭で着物を織る土地柄

 →織物、染め物への関心へ →多摩美大時代は染色

  

横浜美術館では過去作品が一挙公開、約300点にも上る大規模展示となっている。 

・エントランスでは巨大バナー状の作品を展開。これは「bankART LIFEⅣ 東アジアの夢」(2014)での展示作品の再掲。

 

 

<主要な石内作品シリーズ>

〇アパートメント:家族と過ごしたアパートをモノクロで。

 

※石内氏の写真制作:白い糸を染めるのに使う氷酢酸が写真の暗室作業でも使われているという共通点から、写真へはまってゆく(独学)。「撮る」ことよりも暗室作業を悦ぶのは、染め物の感覚でプリントを行うためだという。

 

〇絶唱、横須賀ストーリー在日米軍の街であり、幼少期を過ごした地元をモノクロで。レイプ被害なども起きる危険と隣り合わせの街を撮ることで、戦後生まれとしての個人的体験を通じて、戦後日本の状況を浮かび上がらせる。

・アレ・ブレ・ボケの影響を受けた時代を反映してか、粒子のハッキリと見える作品。

横浜美術館のコレクション55点を展示。1977年に銀座ニコンサロン展示の品。当時、テープを貼ってピンナップ展示していたため、穴やらテープ痕やらが大変だったが、「ニコンサロンで展示したことに価値がある」という評価のため、お金をかけて修復しました。どうもかなりの費用がかかった模様。

 

〇SCARS:色んな人の傷痕を撮影。傷痕は、思い出の写真と似ており、その持ち主は傷についてスイッチが入ったように語り出すという。 そこには「記憶」がある。

〇Mother's:母の死後、遺品(化粧品や洋服、肌着など)を処分する前に立ち止まり、撮影。人生で初めて母と対話。生前は複雑な関係だったとのこと。この取り組みを契機として後のシリーズが「依頼」という形で舞い込む。

 

〇Frida is:フリーダ・カーロ※の遺品。依頼があって撮影。2016年夏に銀座の資生堂ギャラリーで展示があったが、横浜同様、壁全面をカラフルに塗り分けていて、それが恐ろしく合っていた。

遺品のはずが、そこには本人が居るようにしか見えず、35㎜フィルムと自然光とがどうやって会ったこともない故人を半実在の存在感へと引き上げてくるのかはなはだ謎であった。脳科学的に何が起きているのか澤口先生(@ホンマでっかTV)に雑な解説をお願いしたいものでござる。

 

ひろしま広島の被爆者の遺品。依頼があって撮影。「Mother's」同様に、衣服の布の質感に特徴があり、光が透過し、布というテクスチャーが語る強さと、遺されて消えゆくものとしての儚さも同居している。

・なんと未だに増え続けている。遺族が持ちきれなくなって広島平和記念資料館原爆資料館)に寄贈があり、学芸員から石内氏に連絡が入るという。そこで今も年1回は撮影に。ちなみに石内氏はワンピースは全て撮影するとのこと。お好きらしい。

 

(※フリーダ・カーロ:眉毛の印象が強いが、イモトアヤコの祖先ではない。1900年代初頭生まれの画家。小児麻痺になる、バス事故でパイプが体を貫通する、痛みの後遺症に苦しむ、流産する、夫が色んな浮気をする、夫が妹に手を出す等々、人類の業を一身に背負って生きていたとしか思えない。偉人。ファッションセンスが独特かつ秀逸。)

 

  

絶唱の写真集が帯付きで展示されているなど、石内ファンはよだれを垂らす内容となっています横浜美術館。そこまで推されるとさすがに欲しくなってくるが、こんな本は希少本すぎて庶民には買えまへん。ググったら18万とか30万とかザラです。月給かよ。

 

 

 横浜トリエンナーレ2017会期中に配布された本展示のチラシ。横トリの盛り上がりの中でPRしないといけないため、ビジュアルの強さの訴求と好奇心喚起のため、6種類ぐらいのチラシが作成された。全然気づかなかった。横トリあんなにウロウロしてたのに・・・ぜんぜん気付かなかった・・・あんなにウロウロしてたのに・・・。

しかしどのチラシもたいへんカッコいい。ビジュアルの強さがあれば何でも出来るということが分かりますね。そう、ビジュアルです、ビジュアルさえあれば…。

 

 

ギャラリーとしての関りは、会場設営から、こうした広報の展開のサポートにまで広く及ぶとのことです。歌手におけるマネージャー的存在ですね。作家本人と美術館キュレーター、広報担当とのやりとりがありつつ、作品データを渡したり、過去の経歴などの正確な情報を提供する、年譜をチェックするなど、黒子として活躍します。

 

 

(4)岡上淑子(おかのうえ としこ)について

うってかわって、今は活動していない女性作家の紹介。

この岡上氏は、山沢栄子とはまた別種の、しかし、ある種の怪物。

 

かっこよすぎる。当時イラレないよね??

 

1928年生まれ。20代の頃にフォトコラージュ作品が作曲家の武満徹の目に留まり、彼が瀧口修造(詩人、美術評論家、シュールリアリズム運動の紹介者)に「ヤバい娘がいまっせ」「マジか紹介してや」と見出され、美術・写真界とは無縁だったにも関わらず、個展の開催に至る。

1950~56年のわずか7年ほどの制作活動、100点ほどの作品を残し、結婚を機に作品制作を停止。今に至る。

 

 

/(^o^)\ 至る。

 

 

 

(/ _ \) やめてしもうたん。 

 

 

伝説以外の何物でもないような話だが、まさに彗星のようなお方。

2000年代初頭に金子隆一氏(写真評論家、コレクター、僧侶)が、過去の展示記録の中にあった岡上氏の作品に気付き「これ誰だ」となり、発掘。あれよあれよという間に各地の美術館が作品を収蔵。海外、ヒューストンにも。

 

2002年にはThe Third Gallery Ayaで「夢のしずく」展。オリジナル作品を売ってしまうと1品で終わりになってしまうので、シルクスクリーンにして販売。こうした取り組みによりファンが増えていったとのこと。

 

 

2005年「はるかな旅」出版。

 

〇ポイント

・戦後すぐの日本で女性がこれだけのコラージュ作品を作っていること自体が凄い。絵画でもない、彫刻でもない、コラージュ。これは希少。

・作品集をぱらぱらめくれば一目瞭然だが、クオリティが異質。繊細にして大胆。上品さが際立っている。そして気品が満ちている、さぞ良家のお嬢様だったのではと思わざるを得ない。しかしそれだけでも説明のつかない、上質なシュールレアリスムのセンスがある。一体どこから…。

・私自身が一時期、無造作なコラージュを好んで作成していたため、「コラには人格、品性がモロに出る」ということを経験則で知っているが、岡上氏の美術品としての完成度、緊張感、ユーモラス、気品は凄い。他にも時代に埋もれた女性作家がどこかにいると思うのだが、このレベルの世界観に比肩しうる人が果たしているだろうか…?

・結婚後作品制作やめちゃったのは、旦那さんが画家だったこともあるだろうか…?

 

岡上氏の生まれ故郷である高知県高知県立美術館にてH30年1~3月に大規模回顧展が行われます。

これは、これは激しく行きたい。まだご本人が健在のうちに美術館で展示をやらないとまずい、ということで企画が進められていますが、今のところ残念ながら東京での展開には至っていないそう。高知か・・・ 心理的に遠い・・・。

 

 

( ´ - ` ) しかし行きたい (←既にファン

 

 

(5)その他~まとめ

〇山沢栄子について

ディレクションの一番最初の仕事として担当。1994年、伊丹市美術館で回顧展。

 2019年6月、西宮市大谷記念美術館での回顧展を皮切りに、今後、企画が動き出す。

・本人が気に入らんものを燃やしてしまうため、とにかく現存資料が少ないのがネックとなっており、綾先生が色々と動いている。

 

 

※山沢氏については先日のレクチャーを参照のこと。

 

mareosiev.hatenablog.com

 

 

〇総括として「今、求められる女性のまなざし」

 

 

・自分がギャラリー開設した90年代と大きく環境が変化。

 女性作家が増えた。女性作家の作品の良さも理解されてきた。

・以前は、石内都、山沢栄子といった作家が作品を作っても評価されない。力はあるが、評価されない。女性ということだけで。それは時代のせい。

 

 

 

ここで日々思っていたことを仕掛けてみることにした。

 

<Q.>

現代の作家が市場で評価されるには、戦略的なコンセプト、社会性が不可欠か?

 

<A.>

確かに傾向としてはあります。しかしそれは捉われない方が良いです。時代とともに変化するので5年後どうなるか分かりません。90年代はヒロミックスなどが脚光を浴びていましたが、今は状況が全く異なりますよね。 

写真はあくまでヴィジュアル表現です。イメージとしてどうかが問われます。プロジェクト的な取り組みも増えていますが、それをするかどうかはご自身のやりたいこととの兼ね合いかと思います。イメージの強さが大切です。

石内都さんの場合は、テーマの社会性などについてはご本人は「ない」とはっきり仰ってます。本人の興味で作品を作っています。けれど一貫していますよね。

 

 

 

 

( ´ - ` )  満額回答ありがとうございました。

 

 

いやあ私

 

( ´ - ` ) 実はコンセプトとか学術性とか苦手

 

 

( ´ - ` ) 大事です、  不可欠ですよ。

 

 

ただ、そっちの比重がうるさいのでは、いけない。テキストのやたら長ったらしい作品などは、まるで大学などで論文対策してきた学士さんのようで、言ってることは分かるけど、でも面白くないなと思います。

何ていうか表現なんて半分狂ってないと出来ないはず。この国では表現は文化にはなっていなくて、まだまだ暮らしに余裕のある人がたしなむ趣味的なもの、食えない道楽という評価をされます。そんな中で表現にがっつり取り組む、継続できる人は、やっぱりどこか狂っていると言えるでしょう。

 

頭が良すぎるもしくは狂気が備わっていることにより、テキストが学術的で作品がコンセプト比重高めでもクソ面白いということはもちろんあります。それを決めるのは作家の特権性、みもふたもない言い方をすれば才能や異質性のソリッドさが魅力を生むのだと感じています。

 

私見ですが、学校教育のプログラムとして写真、映像を取り扱うことによって、本来ならある種の異能、狂気、偏愛や人生の歪みによってもたらされるであろう映像世界の「特権性」が、教育という民主的で平等なシステムによって平準化され、逆に戦略・戦術の高度化、洗練の方向に向かっているのでは。秀作は量産されるが怪作は現れない。

有識者が「世界に通用する表現者を」と標榜する副作用として、ある水準に満たなかった生徒たちは、作品制作のメソッドの内に取り込まれ、埋没するものと思われます。偏差値35未満75以上だけが知りうる世界がある、と喩えてもよいかもしれません。その点に自覚的になれるかどうか。

 

同じ写真という領域で、なぜインスタグラマーが脚光を浴び、インスタ映えがここまで強烈に蔓延しているのか。それは、写真界が美術教育界における一種の特権的で閉鎖された場になっている(一般民間人から見れば)ことに対する「疲れ」や「見切り」であり、自由化宣言でもあるのでしょう。

 

やはり楢橋朝子のような、この世の日常におびただしく潜んでいるカオスを、きちんと生きたカオスのままで掬い上げることが、写真作家には重要なのではと考えます。

 

 

最前線で活躍しているギャラリストが「作家の思うことを思うようにやることが大事」「写真はヴィジュアル」と仰ったことは、非常に重要な意味があります。ありがたや。拝む。

 

 

表大のご神体・山沢栄子が生徒らを見守っています。 

 

 

そういうわけで懇親会が催され、酒が投入されます。 

 

 

岡上淑子のコラージュはいいなあ」「コラーーーージュいいなあーー」とうわ言のように繰り返していたら夜が更けました。ストロングゼロは貧者のドラッグ。この甘くて軽い口当たりで度数9%は心の福祉ですね。別に美味くはないのがますますドラッグ感。

 

 

女性陣が綾先生に夢中。男子はボソボソと男子会の様相。

 

 

結論として「みんな自分のやりたいことをアホほどやるべき」「アホほどやれば誰かがいつか認めざるをえない時が来る」「かもしれない」ということで、その「いつか」や「かもしれない」の振れ幅の広すぎる変数をできるだけ操作可能な定数に近づけるには戦略や学術性やコンセプトが要るよねということです。

 

 

えらい粗いですが  完。