写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真表現大学】H29.12/10(日)レクチャー「山沢栄子の世界」

【写真表現大学】H29.12/10(日)レクチャー「山沢栄子の世界」

 

今年の写真表現大学(大阪国際メディア図書館)は、山沢栄子(やまざわ・えいこ/1899-1995)という女性写真家を社会に発信することに注力しています。

 

この日は彼女の人生と創作活動について、畑祥雄先生(写真表現大学 /大阪国際メディア図書館のボス)より、写真集と、実際の写真作品と、そして非常に貴重なドキュメンタリー映像とを用いたレクチャーが行われました。

 

 

 

( ´ - ` ) みなさん知ってますかね?

 

 

 

( ´  ー` ) ぜったい知らんよな。 

 

 

知ってる。私も去年まで知らんかった。

山沢栄子わかんないよね。そこでこのblogでは講義の内容を踏まえつつ、順序を組み替えたり、資料・作品の説明を捕捉で挿入しつつやっていきます。詳しく知りたくなった人は表大の図書館で写真集などを見ましょう。

 

 

■山沢栄子とは何者か。

 

( ´ - ` ) おばあちゃんです。

 

 

故人ですが。

 

ただし、おばあと言うても、今話題の西本喜美子氏とは全くの別物です。

西本氏は、キュートで粗忽な「老人」を演じる策士のパフォーマー。狙いすましたcleverさが光っている。

山沢栄子は、たぶん小型原子炉を搭載しています。全身に謎のエネルギーが流れており、実年齢や外見からではそのバイタリティや信念の深さを測定できません。故人ですし。我々とは異なる原理で動いておられるのではないだろうか。ある種の求道者。宮本武蔵に近い人種のような気がする。会ったことないけど

 

結婚はされておらず、晩年はお一人でした。しかし関西経済界の重要人物に注目され、評価されてきたので、神戸浜地ビルの屋上階にスタジオ兼自宅をあてがわれるなど。写真はその仕事場のようす。文化の育成、涵養のためには良きパトロンの存在が不可欠であるなあと思ったものです。

のちに大腿骨骨折で生活が不自由になるのと、ビルの取り壊しにより、老人ホームでの生活に移行します。

が、作品制作に全く翳り、衰えはなく、作り続けて逝かれたとのこと。

 

 

 

■山沢栄子の世界

 

( ´ - ` ) 山沢栄子の世界は予備知識がなくても、一発で「この作家ヤバい」と分かる類のものです。写真というジャンルの枠を超えているし、何よりかっこいい、80~90歳の老人がこんなもん作ってしまうのでは、もう私達、ああっ。だめだ。だめです死のう。銃口をこめかみに当てたくなりますね。銃はどこだ。

 

 

いかんいかん。

 

 

ちょっと見ましょう。

 

スタイリッシュな目玉焼きのような写真作品。

これらの作品は、ペンキによるペイントや、透明なプラスチック板、ペンキの固まった破片などを用いて配列し、窓から差し込む自然光の下で撮影されました。後期高齢者が作成したなどとは全く想像もつかない、鮮烈なスピード感があります。

 

 

ペンキの凝固した破片(チップ)を散りばめ、構成された作品。

デジタルアートではないし、デザインや抽象絵画でもなく、写真です。

写真。

まじかよ。

今でこそ「現代美術寄りのフォトアート作品」として捉えることができますが、それこそ昭和の写真界で、これを冷静に評価することができたでしょうか。しかもロックペイント社のペンキです。ペンキと聞いても写真と聞いてもピンときません、恐ろしい世界力です。

 

 

( ´ - ` )  代表作。これはもう、

 

 

もうめちゃくちゃですよ(最大級賛辞)

 

 

何なのか分からないし、上下左右が分からないし、一体何なのか分からない。何なのかわかりません。素材も、完成形としての全体像も、表象の先にあるものも、何なのかわかりません。なのに、見てしまう。引き込まれて出てこれなくなる。彷徨います。しかし何なのか分かりません。絵画でも彫刻でもない、写真なんです。いや、写真の形にすることで初めて顕現する絵画、彫刻なのかもしれません。何なのか分かりません。何度言うねん。そういうヤバい作品です。言葉が追い付かず、逆に吸い込まれます。光を湛えて、自らが発光している点が、この認識の混乱の泉となっているようです。この(略

 

 

( ´ - ` ) そういう世界です。

 

 

たねあかしをしよう。

ジャーン。こういう素材を用いて、組み合わせては、窓から差し込む陽の光と調整して、最後にシャッター切れば、作品の出来上がりです。  ほんまか。自分で書いててよくわからなくなってきました。どう見ても百均やホームセンターで揃いそうな素材ですよね。EOS1DシリーズとLレンズ振り回して風景撮ってるおじさん達がばたばたと死んでいくのが見えます。

 

 

 

どうですかみなさん。抽象画って凄いでしょう。

 

 こういう感じの作業場から、

 

 

これになる。

 

阪大の教授にして国立国際美術館の館長(木村重信氏)が重要性を解説してくれるわけです。世のおじさんたちがLレンズで紅葉や夜景を撮っては悦に入っている間に、世界はこういう感じで回っていたんですね。ちょっと涙で目の前が見えなくなってきました。あれ…。あの黄色いの酒瓶だよな。うちにいっぱいある…いっぱいあるよ酒瓶…酒瓶…。

 

 

( ´ - ` ) 80~90代のおばあが、毎日こんなのを作るんすよ。

 

 

もっと評価されててもよくないですか(怒)

 

 

 

神戸浜地ビル(現存せず・屋上階アトリエで制作にいそしむ山沢氏。

毎日制作しはります。我々凡夫のように、締め切りに追われてやっと尻を上げる、イルミネーションや紅葉に誘惑されて納期が危険になる、いいねが欲しくてレタッチを盛る、などといった無様な真似はなさりません。生存時間すべてがガチンコ制作なのです。鬼。これは現世に生まれ落ちてしまった鬼の物語なのでしょうか。いいえ。笑うとかわいいです。なかなかかわいい。

 

 

こんな いや、芸術家が、なぜ日本の写真界で注目されてこなかったかと言うと、思うに以下のポイントがあります。

 

 

■なぜ山沢栄子は知られていないか

 

私見ですよ 

 

 

①早すぎた女性

写真界で女性カメラマン、女性作家が広く認知されだしたのは、ざっくり80年代後期~90年代以降と考えればよいでしょうか。だいたい今道子やなぎみわ長島有里枝あたりから日本女性写真史が始まる感があります。さもなくば岡上淑子です。昭和の写真界がどうなっていたのか内情は知りませんが、機材が重くて大きかったんだということにしておきましょう。

山沢氏が留学のため渡米したのが1926年。帰国後カメラマンとして国内で活動を開始したのは1930年代。早い! なんとまだ太平洋戦争すら始まっていません! それどころか世界恐慌の時代で、ナチスがちょうど民衆の支持を集めだすころです。早いよ栄子ちゃん!

そして商業カメラマンを辞し、個人の制作活動に注力し始めたのが1960年(61歳)。早い! 森山大道がまだアシスタントをやっており、土門拳筑豊の炭鉱で児童をリアリズムしている頃です。

 

ちなみに「女性、渡米、抽象表現、先駆者」といったキーワードで真っ先に思い起こされるのが、みんな大好き草間彌生です。

草間氏は1929年生まれ、1957年に渡米し、65年からハプニング、反戦パフォーマンスを繰り広げます。60年代後半から米国ではウーマン・リヴ運動(女性解放運動)が花開きます。山沢氏と30~40年の開きがあり、状況が違いすぎて全然比較が出来ません。ウエー。

  

 

世界から半世紀早すぎた女性。

 

 

②渡米&活動拠点が大阪

戦後の写真界は東京が中心となります。広告・宣伝、出版関係は全部東京ですね。また、写真界は徒弟制度、アシスタント制。今はinstagramで花が咲いて受注が来るということも日常茶飯事になりましたが昭和は…。

対して山沢氏は、渡米&大阪を拠点とした活動でした。前述の通り、若くして渡米し(1927年/27歳)、NYでコンソエロ・カネガという女性写真家の助手になります。1929年に帰国してからは大阪にスタジオを開設し、商業写真を撮りつつ、50~60年代にも何度か短期間の渡米・渡欧します。そういうわけで写真界の主流におらず。そうは言っても土門拳が写真集の書評を書いたり、個展に車椅子で来たり、一定の交流はあったようです。業界全体の風土、構造的な問題ですかね。

 

 

③どっちかっていうと現代美術

この点も大きいと思います。

山沢氏はアトリエ内で、手元でオブジェあるいは構成を「作り」、それをハッセルブラッドで撮ります。

元々、東京女子美に進学した際は日本画を、卒業から留学までは洋画を学んでいました。留学後にカネガ女史に出会うことで初めて本格的な写真の道に入ります。山沢氏は美術と写真のハイブリッドな感性を有していたことになります。

しかし日本写真史上では、80年代後半~90年代にようやく美術と写真の境目があいまいになり、美大を出たアーティストが写真を用いて作家活動し、評価を受ける時期となります。しかし美術と写真のクロスオーバーについては、マン・レイシュールレアリスム)やモホリ=ナジ(バウハウス)の頃(1920~30年代)にさんざん試みられたはずですが、なぜか日本では色々と、巨匠の目の黒いうちはだめだったようで、まあ色々とだめでした。

 

 

これとか分かりやすい。

かわいい ( ´ - ` )

 

かわいいけど昭和の写真界では評価されなさそう。リアリズムがどうとかモノクロの焼きがどうとか。げー。なんちゅう世界や。おそらく多様性という概念がなかったんですよ。多様性。山沢氏を語る上でキーワードになるような気がします。

 

 

代表作「透明な青」。87歳ぐらいの作品。

プラスチック板を2枚置いただけという、極限にシンプルなのに、とても深い世界の作品です。海の象徴のような、空の凝集体のようでもある、空間であり平面である、抽象でありながらそれが(略)

 

これは現代美術ですなあ(詠嘆)

 

 

実際、前述の畑祥雄先生が山沢氏に出会ったのが「架空通信テント美術館」(1980~85年)なる、阪急苦楽園駅前から夙川の河川敷にて展開されたテント式の屋外美術展示イベントだったそうな。その企画を率いていたのが抽象表現美術家・津高和一(つたか・わいち)氏。山沢氏は抽象表現のフィールドで評価されていたのでした。

 

 

 ■写真 / コンソエロ・カネガとの出会い  

 

さんざん抽象抽象と言いはじめたところで、真逆の写真が出てきました。

 

真逆や。 

 

( ゚~゚ ) 同一人物とは思えない作風の違いですね。

 

1955年、久々にNYへカネガ氏に会いに行ったときに撮影されたもの(だったと思う)で、街中の一瞬を捉えながら、たいへん静けさ・落ち着きのある写真です。足腰のすごくしっかりした写真。

 

 

おー。静謐がある。

日本人離れした落ち着きに満ちている・・・ 海外なのに、海外に対して浮かれていない、その土地の人のようにして撮っているからか。

山沢氏の写真への向き合い方は実直なシリアスさがあり、被写体その人自身が内に持っている表情を引き出して撮るのか、カメラによってポージングさせて表面的に撮るのかといった違いについて厳密です。無論重視されるのは前者、「内面」です。これは山沢氏の多用するキーワードです。

 

それも「(相手の)いいところは簡単には見つからない」「同じ人でも長時間同じ表情でいない。五分間も同じではない」と言っておられ、我々の一般的に考える「内面」などとはわけが違うと思ったほうがよいでしょう。

そして、内面と対になるのが「光」で、たびたび光を見る・読むことへの言及があります。「その人とお会いしていたらどの光線がいいかわかりますよ」「こうしてみなさんにお会いしているだけでも、いろんな顔があるでしょう」と、座談会の参加者のことをおそろしく良く見ている一幕があります。

 

 

私は人間全般が苦手なので、酒に酔わないと人を直視できないし、言葉を発そうとすると、いちど頭で考えを話し言葉に変換しないといかんので、視界は絶えず何らかのフィルターに阻害されています。見えてないんだ。山沢氏の眼はそのようなフィルターを介さずにこの世界をしかと見ているようなので、いいなあと思いました。いいなあ。訓練かな。

 

 

そんな山沢氏へと育て上げた第一人者が、留学時の師匠、コンソエロ・カネガ(Cansuelo Kanaga)女史。(写真右)

 

山沢氏の写真と似た、素朴で静かで、力のあるポートレイトを撮る作家です。

 

 

参考として適当にリンクを拾ってきました。

saint-lucy.com

 

camarademocratica.blogspot.jp

 

黒人の女性、子供のポートレイトが多いですね。撮影された1930年代当時は、大恐慌の影響により、経済的にも社会的立場でも黒人は苦しい時代だったようです。公民権運動は50~60年代を待たなければいけません。しかしカネガ氏の写真には、明日を向いて今を生きようとする前向きな姿が写されています。社会的には厳しい立場にある者にも等しく敬意を表し、感傷ではなく相手の精神を捉える眼差し、この点が山沢氏に引き継がれることとなります。

 

ちなみにカネガ氏の死去を報じたニューヨークタイムズの記事(1978.3/2)によると「カネガ氏は、彼女の時代における一流の女性写真家の一人であり、アルフレッド・スティーグリッツ、ユージン・スミス、イモージン・カニンガム、ウィラード・ヴァン・ダイクと同時代の人物である。」と表記されるなど、写真史の名だたる重鎮と肩を並べていることから、とんでもない人物であることが察せられます。

  

 

■山沢栄子ドキュメンタリー映像について

このレクチャーでは2本のドキュメンタリー映像が紹介されました。この映像こそが肝で、山沢氏のキャラから人生から一発で分かる上に、山沢氏のキャラが面白いので、次回また大阪国際メディア図書館の公開講座の機会があればぜひ見ていただきたいと思います。いろいろとキャラが濃ゆい。

 

 

①『ハイヒール&グランドグラス』(1990)

・米NYのコンストラクテッド・フォトグラフィ作家:バーバラ・キャステン(Barbara Kasten)と、写真史家:デボラ・アーマス(Deborah Irmas)によるドキュメント映像。約30分。

 

20世紀前半に写真家のパイオニアとして活躍した女性らにインタビューし、オーラルヒストリーを紡いでいく。取材先は予算の都合で5人になったらしいが、アジア圏で該当する女性作家は山沢栄子しかいなかった模様。当然の話で、当時のアジアは戦争あるいは植民地化で写真どころではなかったんだよ。

 

取材という取材を断る山沢氏だが、この時はNYから自分と同じ領域(作家が世界を創作・構成して撮影する)の女性写真家が来る、ということで、例外的に快諾したという。しかし映像の撮影のために来日したりしたので資金の問題が発生し、畑先生が謎の錬金術を発動させたりという裏話があります。

 

 

ルイーズ・ダール=ウルフ(Louise Dahl-Wolfe)

 

モーリーン・ルーミス(Maurine Loomis)

 

リゼット・モデル(Lisette Model)

 

エイコ・ヤマザワEiko Yamazawa)

 

ジゼル・フロインド(Gisele Freund)

 

( ゚~゚ ) 濃ゆいな。

ひときわ小柄な山沢栄子が迫力負けしていない。凄い。

この5名が代わる代わるモノローグで語るだけのシンプルな映像なので、絵としては単調です。しかし、先駆的な非現実の世界を自らの手で創造・構築するアーティストが、真っ当なドキュメンタリー映像を実直に撮ったこと、それ自体が驚きです。

 

 

 ②『レンズが見た夢と美』~88歳写真家 山沢栄子の世界~(1987・NHK

 ・NHKのドキュメンタリー番組(約40分)。内容はバリバリの昭和のNHKドキュメンタリー。懐かしさに悶えます。ここここれは。昭和だ。生まれ故郷のようだ。ドキュメンタリー番組のお手本のような構成、音声、展開、ナレーション。ある種の日本の原風景(映像体験)です。

 

 

最大の特徴は、なんと①『ハイヒール…』と同じシーンの映像を使っている。どういうことかと言うと、山沢氏は映像①の取材は快諾したが、NHKはダメだった。しかし映像①を企画するバーバラらには予算の限界があり、カメラマンが用意できないという。

そこで、NHKがバーバラらの取材に同行し、撮影及び映像の提供を行うこととバーターで、自社の取材を山沢氏に受けてもらうという交渉がなされ、実現したという。そのため両者の映像は共通している。ここには畑先生の稀有な交渉術と調整力が働いており、NHKでは本来無理なはずだが、だめなのに通ってるあたり、結果的に関係者全員が化け物であることがわかった。磁石か。

 

 個人的には②NHK番組の方が断然面白かった。情報量が豊富で、編集が分かりやすく、山沢氏の当時の状況がよく分かった。老人ホームで、他の入居者らと一緒にご飯を食べたり、車椅子を職員に押されて廊下を移動するシーンは、たいへんに価値があると思った。どんなに偉大な人物にも現実がある。

 

 

「最近では他の入居者との交流も楽しみのひとつです」といった超ベタなナレーションがかぶさるのが、しみじみと良いですね。自分が80年代生まれであることを実感する。

 

 

 また、NYからわざわざ来日したバーバラ・キャステンとデボラ・アーマスの動いている姿が拝めるのが貴重です。高名な作家は作品もかっこいいが、だいたい本人もかっこいいものと相場が決まっています。ありがたい。若い。かっこいい。

 

 

( ゚~゚ ) 若い。

 

私にとっては少し昔の作家さんになってしまうので、この若さで動いているのを見られるのはうれしい。1936年生まれだからWeb検索かけると実に80代のお顔を拝むことになる。この映像を見た後では少々ショックでもあった。おばあちゃんになってしまいました。時の流れはあまりに速い。

 

 

 

そう。人は老化し続け、いつかどこかで死んでしまい、この世からいなくなってしまいますが、映像はその時点でのその人が残り、強烈なメッセージを後世に伝えます。対・人物でドキュメンタリーを行う際には、動画での記録が不可欠であると分かった。写真と文章だけでは残念ながら足りないようです。

 

 

 

 ■なぜ、今、山沢栄子か 

写真表現大学では、今年すでに2度にわたって山沢栄子を特集しています。

 

いずれも一般の聴衆向けの講演で、山沢氏と関わりの深い畑先生が演者を務められました。

 

山沢氏はこれまで写真界ではあまり注目されてこず、歴史的に体系立てて評価される機会が乏しかったと言えます。その上、ご本人が取材を嫌い、いかなる取材もことごとく断ってしまうため、資料そのものが非常に乏しい。

そのため山沢氏の存在意義について語り継ぐことのできる人が希少なため、山沢氏ドキュメンタリー映像(1990年)の制作や山沢作品の保存に尽力された畑先生や、当時アシスタントとして尽力されたギャラリストの綾智佳先生(The Third Gallery Aya)ぐらいしか、社会に向けてアナウンスできる存在がなかなかいなかった、という事情があります。

  

 

しかし今、山沢栄子の活動を再評価するための動きが急速に具現化しつつあるとのことです。今年度の大阪国際メディア図書館によるレクチャーを下地としながら、2019年に関西(西宮市大谷記念美術館)で回顧展が催され、次に東京、そしてアメリカへと展示企画が進展していくという話です。

関西の作家、芸術運動が日本独自のものとして再評価される動きは嬉しいですね、具体美術協会を巡る昨今の再評価と同じ風を感じます。なんでもかんでもTokyo、としてしまうのはちがうと思うんですね。五輪がんばってくださいね。都市にせよアートにせよ、関西には謎のポテンシャルがあるはずで、そのカイブツ性が世に認められることは単純にうれしいです。

 

 

「なぜ今」か。理由は大きく2点あります。

 

①戦後70年

戦争経験世代がいよいよ寿命を迎える一歩手前の時代になっており、「戦争」が私たちにとってアンリアルと化してしまう、そういう節目を迎えます。今、ぎりぎり戦争体験者が自らの言葉で語れる時代です。山沢栄子のように、戦前・戦中・戦後の日本を駆け抜けた作家の活動を追うことは、日本という国の姿を知ることでもあります。

 

 

②社会と女性

前述のとおり、早すぎた女性でした。世界の誰よりも早かった。今、ようやく時代は、女性が自分の生き方について考え、選択できることが少しずつ増えてきました。女性管理職も普通になりました。しかしまだまだです。「もし男性に生理があったら、今頃もっと科学技術によって痛みや不快を解決していたはず」とスプツニ子!が指摘するように、全然まだまだです。育児もそうとちがいますか。まあ山沢氏の場合は、生き方がかっこよすぎて、表現に携わる者なら男女問わず憧れと畏怖を抱きます。そういう教育的効果がありますな。

 

私はその、後世に「伝える」 / 後世が「伝えてもらう」ことの意義を痛感しました。

 

山沢氏から伝えを受けているデボラとバーバラ。

 

自分がいいと思ったら何が何でもやったらいいし、そうでなかったらどうするのです、といった言葉が書籍(「私は女流写真家」)において繰り返されています。勇気づけられるわけです。ああそうか、自分は自分の声に従って生きても良いのだと。ある種の狂気のようなものを肯定しても、良いのだと、教わった心境です。

 

 

 

 

映像で、山沢氏がうれしそうにレンガを湿らせて語るシーンがあります。このシーンが最高に良くて、インタビュアーがわざと仕掛けたとしか思えませんが、ぜひ紹介したいです。唐突に声が大きくなる、言い終わったはずのフレーズをしばらく経ってからもう一回反復するところが最高で、初回は「この人こわいな」と思いますが、徐々にクセになります。

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(インタビュアー)「なんで濡らしてるんですか」

(山沢氏)

「なんでぬらしてるかって てきとうに レンガ濡らしたいとこをしめらしてる だって濡れてないのと全然質感ちがうでしょ(大)  だからそういうふうに希望があるわけ(大)」「ぬらしてないの こんなんイヤでしょ 変わるんですもん」

かわりますとも(大)」

そら かわりますよ(大)」

「そういうのはっきりわかってるから ぬらしてるんですよ」

「どうしてレンガ――友達みたいなもんですね。すきなんです。彫刻みたいなもん。何日でも見てられる。」「手元において、友達みたいにならないと、写せないからね」「仕事の注文によって写すのと全然ちがう」

ちがいますね(大)」

「なぜレンガをぬらしてるか   好きやからね」

「おかしいねこんなきたないもん

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( /・o ・) 汚くないです。

 

 

きたなくない。

 

 

( ´ - ` ) だめだかわいい。

 

 

 

山沢氏はとことん目の前の事物をつぶさに見ていることが分かりました。それは、秒単位での変化を認めている。我々が「レンガ」「机」と名詞的に認識し、ラベルを貼って終了させるところ、山沢氏の内部では「レンガ」 が関数のようになっていて、n秒、n+1秒、n+2秒・・・でそれぞれの「レンガ」のゆらぎを捉えている模様。

また、「レンガ」が有している形状の細部:平面、角、影のできるところ、微妙にかけたところ、ツルッとしたところ、微細な穴などを、秒ごとに総ざらいサーチしていると思われます。将棋の名人が何手も先を何通りも瞬時に計算するのと似ています。

 

書籍に記載されている山沢氏の発言の多くは、上記の眼の性質を裏付けます。対談では、他者や一般平均的なものと自身との比較について尋ねられると、それが何であれ(人生の選択肢、同世代の女性の生き方、当時の女性の生きづらさ、若手作家、等々)、概ね「そんなものは知らない」とはっきり答えます。気がキツいのかなと思っていましたが、どうもこの応答は、眼前の事物に対して秒単位で変化を認め、それに「自分」を全力で応じさせるという、山沢氏の独特なフォーカスの特質に起因するものではないか、と思いました。

 

 

 

そのようなミクロの時空間で「個」を認める眼差しについて考えるとき、山沢氏の作品を果たして「抽象的な芸術」と表記すべきなのか、私は迷いました。無数の可能性をつぶさに眼で検証された上で選び抜かれた瞬間から、更に吟味されて描画される映像。それはむしろ「具体的」と呼ぶべきではないだろうか?

 

そこで比較したいのが欧米における抽象表現です。山沢氏が留学した1920年代後期には、ダダイズムシュールレアリスムに次いで、デュシャンの便器以降の世界であるため(私は個人的に「ポスト便器」時代と呼んでいますw)、マレーヴィチピエト・モンドリアンに代表される抽象表現が登場しています。これらはもはや図形の組み合わせで、必要最小限の要素にまで切り込んでいった先で普遍性を求めるという離れ業をやっています。物理の方程式のような絵画です。絵画が絵画の歴史、権威を自己否定し、自らを出自もろとも解体していくような時代で、これらの運動はまさに「コンセプト」のアートで、「絵画」という表現システム自体を問うものでした。

後の1960年前後には、コンセプトとしての絵画が更に突き詰められ、ミニマルアートという展開を見せます。もはや画家が自分の筆で描くのではなく、空間性すらなく、既製品の組み合わせで絵画、芸術を問います。こうなると大量生産される工業製品やデザインの象徴物のようになります。

 

山沢作品は「抽象」でありながら、これらと全く異なります。

まず1点目、空間性があります。窓から差し込む自然光を活かし、注意を払って撮影されていることから、作品はどれも光と影による空間性を湛えています。それが、まるで平面のようでもあり、しっかりした空間のようでもあるため、見る者に驚きを与えます。

2点目、表情があります。用いられる材料が非常に断片的ですが、その組み合わせと光によって最大限の個性を発揮するよう計算されています。不思議なことに、見ていて飽きないのです。素材には無数の傷やノイズ感が認められます。その力がどこから来るのか、まだ未知数ですが、師匠のカネガ女史から受け継いだ眼が生きていると思われます。

3点目、創作の源泉が違います。恐らくは、山沢氏の個人的な欲求、愛情、好奇心から強く望まれて生み出された作品たちです。美術史とその権威に対する異議申し立てや疑義という「コンセプト」とは、また異なる系譜の作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

系譜の違いを言うなら、映像取材に来日したバーバラ・キャステンとの関係はどうだろうか。バーバラの作品は、抽象的な形状や石膏、そして鏡などのオブジェを多数設置し、 色のついたフィルターを介して照明を当てることで、幻惑的な、どこか毒を孕んだ、醒めない都市の悪夢のような世界を演出する。おもちゃのように抽象化された都市の内部で、古典的な、あるいは生物的なフォルムに囲まれ、脱出不可能なイメージの中を歩き続ける。逃げ出せないのは恐らく鏡の力だ。都市の冷たさと強固さ、こちらの視線を作品内の別のところへ打ち返して迷宮入りさせてしまう作用がある。

 

 

表大にも山沢作品があるのだ。でかいいいい。

 

山沢栄子もバーバラ・キャステンも、その出自を辿ると1920~30年の抽象表現であり、事物の構成の探求、特に写真を用いての形、配置の研究を推し進めたバウハウスの系譜を継いでいるとみられる。

 

 だが山沢氏はカネガ女史の下で、さりげないもの、弱き者に対する敬意の眼差しを育み、同時に、非常に洗練された画面構成をトレーニングされた。そこから繰り出される抽象世界は、まさに山沢氏にとって「友達」(愛用のオブジェ群)との美しい語らいの一時であったのだろう。

 

バーバラは、80年代アメリカにおいて都市生活者の行き詰まりに直面していたのではないか(意識的・無意識的を問わず)。消費社会としては生活が一定の水準に達しており、冷戦は終結し、平和を獲得した。しかし経済的には日米貿易摩擦が大きな課題となっていて、アメリカ人に苛立ちをもたらしていた。写真というジャンルは、とうとう出来ることをやり尽くしており、シンディ・シャーマンやバーバラのように自分自身で創作を行い、その結果を形にして伝えるために写真というメディアが用いられた。

バーバラの作品は美しいが、どこか私には、危険な悪夢のようにも見える。赤、青、紫の光の中で佇む迷宮は、精神的に行き詰まりながらも、そんな都市生活を辞めることなど思いもつかないという、都市生活者の最終段階のような、洗練と不穏が同居した心理が現れているような気がする。

 

 

いかん。

恐ろしいことに、終わりがなくなってきた。優れた作家に触れると、こういうことになる。無限連鎖だ。派生するリンクが多すぎて、無限に色んなものが浮かび上がってくる。しかし、私には生活もある、、このあたりで筆を置こうと思う。 

 

 

( ´ - ` ) 栄ちゃんの写真集ほしいなー 

 

頑張って探そう。