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写遊百珍

関西をメインに、美術館・アートイベント、登山、廃墟、珍スポットなど珍奇なものをご紹介。

【ART】2016年度 京都造形芸術大学 卒業展/大学院 修了展

ART(京都)

【ART】2016年度 京都造形芸術大学 卒業展/大学院 修了展

<会期 H29.2/25(土)~3/5(日)>

H29.2/26(日)

 

自分自身の卒業展示(写真表現大学)が近いこともあり、ここ1か月は、最後の追い込み的に「人の展示をよく見て参考にする」という殊勝な生き方をしています。すいません。父親に似て糞真面目なのです。ほんまか。そういうことにしておいて。さあ。京都造形芸術大学にやってきました。卒展を観ましょう。

 

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はいっ。京都造形芸術大学。母校でもないのに親近感がわきます。十数年、営業職などに無理に就かずに大学院でみっちり勉強すれば良かったんじゃないかとも思いますが、当時はラリったり泣いてたり怒っていたりして人生どころではなかったので、まあ人生そういうものだと思います。みんなも思い当たる点はないかね。  ない。    そうか。

 

京都造形には、 叡山電鉄茶山駅から歩いて行きます。一部のおけいはん狂しか下りたことがないような駅です。ひなびている。

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この駅周辺が凄まじく良く、街撮り専門のスナッパー諸兄にはたまらない味わい。被写体が溢れています。スナップ聖地です。人々の生活空間と、道路などの公共空間とが妙に間延びしていて、そのゆるみにバケツや植木鉢などがオブジェとして浮かび上がる感じがします。

 

京都造形芸術大学の全体像をみる。

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一見小さいように見えるが、

 

 ( ゚q ゚ ) 館が多い。

 多い。

「○○館」「△△館」という漢字3文字ネーミングの館がたくさんありまして、迷子になりました。うわあ。わからん。そして、車道をまたいで少し離れたところにも会場があったことに今気付きまして、けっこう作品を観れていない。時間が許すならもう一度観に行きたい。

(※執筆時点の3/5(日)を以って卒展終了。うわあ。無念。)

 

( ゚q ゚ ) 作品も容赦なく多い。

 

企画力、提案力に富んだ、面白い展示でした。密度もある。

非常にかいつまんでレビューします。写真をみましょう。

 

<現代美術・写真コース>

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「写真はかなりややこしいメディアです」

 

/(^o^)\ まさにそう、

 

 

\(^o^)/ そうなんですよ。

 

写真はややこしい。

 

きみ、ややこしいと思ったことはありませんか。A・スティーグリッツが絵画的なものと格闘し「写真」独自の立ち位置を求めてから100年近く経ちますが、なお一層ややこしい。

事実を客観的に記録する性質がありながら、画像操作によって贋金作りのように現実を改変する特徴もあります。また、絵画的に技巧の妙を凝らした美に走ることも出来れば、監視カメラやCT、MRIのように、ある目的に特化して突き放した画像を描出することもできます。

その上、機材と編集ツールの進歩により、一般人の誰もが撮ることができ、誰もが発表することができます。それらの写真と、現代アートにおける・作家活動としての「写真」とは、何がどう違うのかという問いがあります。

写真とは何か。 

この卒展における回答として、写真の本質としてのドキュメンタリー性と記録性を踏まえて作られていました。どれもテーマ設定と手法と成果物にブレがありません。自己の内面や、歴史、社会の在り様を見つめ、記録して、キャプションとともに語らせています。大学の外のシーンで通用するような強度と文法で作られているのが分かります。 

 

あっ都市景がある。

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夜の都市景を長めの露光で撮っておられる作品。道のようなものに注目しておられますね。道は重要ですね。都市において優先されているのは歩行者なのか、それとも自動車なのかという問いがあります。

私達は都市生活者だから、都市を見ることは自分を見ることに繋がっていると思われます。撮るよね。都市とるよね。とるよ。私はなぜか三脚で長時間露光で撮りません。めんどくさいからでしょうか。長時間露光では対象が逃げてしまうからかも知れません。まだ謎です。

 

映像作品きた。

〇陳 宥柔『軍歌と恋歌』

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1937年の日本による台湾統治において、皇民化教育の推進がなされる。それは台湾人を日本人化するという運動で、その一つに日本語使用を徹底化するという取組みがあり、結果、当時の台湾の流行歌が日本語の軍歌へと改変された。この史実に基づき、この作品は制作されている。なお戦後においても、台湾は中国政府の主権下に置かれるが、その歌の台湾語オリジナル版を歌うことは禁止され、後に中国語のアレンジバージョンが複数生み出されるなど、台湾という国の揺れ動くあり方を象徴するようなものになっている。

 写真作家と映像作家の垣根のない時代なんですね。

 

 

◎岡本 成生『輪郭把握のセルフポートレイト』

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自分の思う自分と、他人が見ている自分との差異について、セルフヌード撮影で自分というものの輪郭を確認していく試み。

こちらは性器描写があり、撮影禁止。

自分の姿、それも裸体を撮るという発想は、私には皆無なので、鷹野隆大にせよこちらの作者にせよ面白いなあと思います。人に見られる自分の身体を想定したことはありません。避けているのだと思います。水着になるのがすごく嫌で、海水浴場に行っていない。登山はいいよねギアで全身を覆いつくし、拡張された身体機能を楽しめる。そこがRPG的なんだな。

正面と背面の写真を合わせた写真があって、ちょうど男性器が臀部の割れ目に隠れるような形になり、性別を超えたように見えた。これからの時代そういうのが重要なんではないかと思う。身体性を取り戻す、思い出させるための運動と、逆に、身体性を喪失していった先のことと。

 

 

◎南 竜司「福島の牛」

これはまさに写真作品。骨のあるドキュメンタリー記録。

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作品の舞台は「希望の牧場」という、福島県浪江町福島第一原発から約14kmに位置する牧場です。ここには、被曝した牛が315頭飼われています。彼らは殺処分を命じられた牛ですが、うしを愛する農家のおっつぁんがそれを拒み、自発的運動として、支援を募りながら、飼い続けることに。

この作品では、315頭の牛の中で74頭の撮影を行ったものから、更に11頭をセレクトしたものだという。情緒的なフレーミングに走ることなく、客観的に、しかし温かみのある距離をもった眼差しを一貫して撮られていて、この牛たちの置かれている難しい状況を丁寧に語っていました。

フクシマ関連の話題が耳目を集めていた時期には、この牧場も注目されていたようですが、現在、311から早くも6年が経とうとしており、人間は残酷なもので、もう現地がどうなっているかを全く忘れているし、知らないのです。そういう時代の曲がり角において、写真というドキュメンタリーのメディアは、重要な役割を果たします。

 

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こういうテキストがないと、写真を眺めているだけでは、写真に写っているものがどういう意味があるかが分かりません。それが現代の写真のスタイルの一つです。現代の社会は抱えている問題が複雑であり、単なる報道写真とも違う形で、映像表現としてそれらの問題と向き合おうとするとき、写真はテキストと密接不可分となります。

コンテスト至上主義、アマチュアリズムの中で活動している限りは、縁のないことと思いますが、実際のところ写真活動には、卒論をきちっと仕上げるぐらいの知力や取材力が必要であると思われます。

 

 

◎森田 具海「2つの川」

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こちらもソーシャル・ランドスケープ(社会的風景)の系譜をしっかりと踏まえた作品です。日本の歴史的公害の舞台となった水俣川と渡良瀬川を歩き、風景を大判カメラで記録するという活動。

そういえばどちらの水系も、歴史の教科書では絶対に学ぶものの、生の風景としてそれを見たことがある人はなかなかいないのではないでしょうか。珍奇な旅を繰り返した私ですらそんな硬派な旅はしたことがありません。

 

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マチュア写真との最大の違いは、絵になる何か、分かりやすい「美」、美観とか風光明媚といったものは何一つ写っていないこと。これから隣のどっかの中国などはこういう環境問題なるものに今後本当の意味で苦しめられることでしょうし、翻って日本では記憶が風化し、原爆の被爆者のように高齢化が進み、高度成長期の環境問題について語れる人がいなくなっていくでしょう。そういう観点からも興味深い取組でした。

 

 

◎許 品祥「半死半生」

 なぜか気遅れして会場の展示光景の写真がない。代わりにもらった展示チラシを

壁面に、生きて濡れているアメフラシや藻類のように艶めかしく掲げられているのは、どうやら人体、というか、体毛であります。

 

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チラシを室内で適当に撮ったので、人の身体とすぐ分かりますが、会場では内側から濡れて光る、夜明け前の海の浅瀬、その中を黒々とした藻類が漂っているような光景が繰り広げられていました。それは、何本もの男の足で、膝や脛、ふくらはぎの膨らみと、体毛の硬質感とが織り成す、謎のハーモニーです。

普通に生きていて、人体のパーツに深く眼を繰り入れていく機会は、経験上、まずありません。ましてや、脛毛です。そんなことがあるとすれば、近しい、好きな人の存在をもっと愛したい、取り込みたいという衝動でしょうか。或いは自分の体が失われる危機に瀕した際に、何とか記録にとどめようとする行為の果てでしょうか。一朝一夕で、この領域に立ち入ったとは思えません。恐らくずっと、近しい人に眼差しを向けて、撮ってこられたと推察します。

関係性。

 

 

写真はこのぐらいで、あと気になった展示を散発的にレビューします。

 

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木槌でひたすら大学の各所を叩いている映像作品。ニヤニヤしてしまいました。意味は分からないが、しかし分かります、場所を確かめる行為。今いる場の強度や性質を再確認するような、一見無駄な行為の繰り返し。やりたいなあ。皆さん叩いてみたくないですか。

 

 ◎衛藤 咲樹「道」

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美しくゆらめく点字ブロック。そういえば全国各地の点字ブロック諸兄らは、戦時中の兵士であるかのように皆同じ色・形を強いられていて実際ポテンシャルを殺されているとも言えなくない。

 

◎皆川 百合「Stardust」

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唇や記号が無数に潜んでいる。日本人の「飾る精神」が、作家らギャル世代にも共通して受け継がれているのだという点から作られたもの。かっこいい。

誰もが自己表現を通じてアーティストを名乗らずにはいられない世の中である一方、本来自由であっても良いはずのアートがコンセプトやプレゼンの練り作業に追われ、より高度な練りを要求される時代であると察します、なんか自由にやりたいですよね。

 

 

◎北村 友理「救済」

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びっしり並ぶ点々は救済を待ち望む群衆ということで、将来への不安や閉塞感から逃げ出したいとする作者の想いが、水干絵具や岩絵具といった伝統的な日本画の技法で描かれています。日本画のフラット感と滑稽さはまさに現代のサブカルチャーの軽さへと繋がる特質を備えているなあと実感。かわいい。

 

 

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思考の実験・実践の場となっていて、その場にいるだけで楽しい。

子どもも謎にテンションが上がってゐたりして、タッチパネルを操作し写真を撮りまくっていたりした。世代を貫通します。

 

絵画はよくわかんないんだけれども、いいものは良いし、作家の表現意図、何をこの世に仕掛けてきているか、理解のヒントが鑑賞者に与えられると、非常に面白く参加することができる。

そういう構造はデザイナーの取組み工程に近いかもしれません。いかにアートの文脈で戦いつつも、いかに一般の鑑賞者(=非アート圏の住人)を巻き込むか、会場全体がその試みに力点を置かれていたように感じます。

 

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 解体されても人だとわかりますね。

 

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絵画は基本的に巨大。1mは当然のようにあります。買った人は保管や展示をどうするのだろうか。 おかねもってて家が広いんかな。うわあ。

 

 

◎松村 咲希「Lonely planet

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 絵画等のジャンルで突き抜けて最高だったのがこちらの作品、異常なかっこよさが痺れます。世の中には、メソッドを学んだり手法を考えて出来ることと、出来ないこととがあります。この作品は後者だと感じます。デザインや絵画を少々学んだところで、このクールな躍動感は狙って出せるものではありません。

 

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魅力的なのは、印刷物のような平面としての抑制と、塗りの手仕事との共存です。また、線とドットとベタ塗と写真のごときノイズ的な質感など、基礎的なテクスチャーを等価に扱いつつその交錯から宇宙的なイメージを引き出していること。思い起こされるのは山沢栄子の「What I’m doing」のごとき前衛的イメージですが、それをWeb世代らしく無重力・無体温な感じで、冴えたまとめ方をしている。

 

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トメ・ハネ・ハライが美しい漢字はアート的ですが、この絵画もそのような躍動感とゆったり感が共存していて、記号論に通じるものがあります。太さのまちまちな曲線と直線の応酬は、マンガの効果線を想起させ、また、ドットやノイズ個所も、マンガの作画時に用いられるスクリーントーンの仕事に繋がるところがあり、この作品がサブカルチャー的な文脈を一部引用しているようにも読み取れて、楽しいです。

 

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3枚のうちこれは最も絵画的な手仕事の跡があります。ここまで来ると相当分かりやすい。かっこいいんですが。手ごろな大きさと価格で売っていたら買いたい。ことさら絵画作品は大きく、身長181㎝の私ですら「うわっ、」と感じるぐらいのスケールがあります。気に入ったところで迂闊に買ったりすると後で妻や恋人に「あほですか?」と怒られることになりますので、皆さん大きな家を買えるようにえらくなりましょう。

 

 

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 同じ作家さんだが、ポートフォリオがこのようにコミカルで面白かった。私は写真をもっぱらにしつつ、相当に落書きもやっているので、親近感があります。

 

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メタリックな質感がたまりません。シルバー、エメラルドグリーンは脳に直接入ってきます。金属的な色調は、写真でも油絵でもない、別種の映像体験をはらんでいるようです。 

 

 

エレベーター前、

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乳幼児が厭世しています。これはたいへんだ。 

 

 

舞台芸術のコースもあり、演劇の舞台作品の記録や、演劇関連の論文が展示されています。こうした研究報告の展示は初めてで、非常に面白かった。演劇は建築と同じく、無数のロジックと技術から構築されているけれど、その思想の体系を読み解くのは素人には難しい。理解の手掛かりを与えてもらえるのは有難いものです。

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アレキサンダー・テクニックの使い方。

 いやー面白い。ずっと居られます。普段の生活で偏った・無理な使い方を強いられている身体に対し、本来の自由度を取り戻してあげるという技術体系。ストレッチを旨とする各種ポージングを用いるヨガと異なり、日常生活動作を通じて学んでいくということと、不必要な動作はやめるという点が特徴的だということです。

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こちらは維新派に関する論文。

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 維新派の演技を見たことがない。いかん。。論考は面白かった。活動の経緯などがしっかりとまとめられていた。大阪を拠点に活動していた劇団だったが、今や主催者が亡くなり活動が終わってしまったりして、2010年に犬島で公演を観ておくべきだったと改めて悔ゆる。

 

他にも印象に残る取組が多々。 

 

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儚く消え入りそうなイメージ、絵画のような、アニメの映像記憶のような。 

 

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 おそろしく丁寧な点描作業で、肉眼で見ると映像がふわっと浮かび上がってくるという驚きの体験をします。これは新印象派の方々もびっくりでは。

 

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 まるで写真の中の人のように、生々しく立ち現れる人物像。

 

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 写真と絵画が交流します。

 

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 わんちゃんがおどろおどろかわいい。

 

 

 空間を侵食してゆく造型があります。

◎吉野 滉太「ramification」

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 無限に増殖してゆきそうな銅線の樹。細い直線の無数の伸張は通信を思わせる。繊細で美しい。

 

 ◎永峰 智美「落ちる」

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 \(^o^)/ギャー

 

\(^o^)/ なにこれ

 

\(^o^)/ 超かっこいい/きもちわるい

 

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\(^o^)/気持ち悪い/かっこいいー 

 

夢にでそう。現実世界に裂け目が・・・。

 

 

◎森川 史崇「感性的情報端末」

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 触れるとセンサーを介して、体調(体温、心拍、発汗など)によって、色や形、音の反応が変化する。その瞬間瞬間の自分を測定し、リアルタイムに知ることができる装置。

 

 

◎菊谷 実央「brilliant world」

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コンセプトのキャプションが面白く、「動物を苦しめる人間が嫌いで人間は絶滅すればいいのにと思っていた。年々沢山の人と出会い ~(中略)~ 許せない人間は沢山いるけど、私に関わる人たちは好きだと思えるようになった」と、根本的に多くの存在をあまり許していない感じである。けっこう怖い。この新聞紙はなんだろうか?謎は多いですね。

 

 

◎伍 嘉浩「不可視空間」

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会場が暗闇で、光とブツとの運動が織り成すこの世の多彩な表情を楽しむあれです。ビエンナーレ等のアートイベントではお馴染みのインスタレーション。光源が動いたり、ブツが動いたりして、刻一刻と今そこに見ている世界が変化していきます。

瀬戸内国際芸術祭などのたのしい記憶が刺激されます。あの頃たのしかったなあ。2010年頃はたのしかった。あの頃たのしかったなあ(遠い目

 

 

益城 千種「Dr.side」

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日々ストレスを抱え、バーンアウト(燃え尽き)に陥るおそれのある医療人のための情報提供サイトの提案。実際に運営されている。小冊子で3名のバーンアウト経験医師のインタビューが紹介されており、非常にリアルな現場の課題に寄り添った秀逸な提案でした。

 

石谷 梨帆「flowing」

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写真を用いて、和歌山県加太での釣りを通じ、地元の産業である漁業、特産品であるマダイの紹介を行う。作家の活動(地域への働きかけ)と写真とテキストが三位一体となって作用する良例。

 

 

◎エリたす「ツインテール狩り」

人は皆「ブッ飛んだ方がいいのに」「もっとやんちゃしてみたら」とよく言われ、「そうだね、もっと滅茶苦茶してみるよ!」とよく応えますが、結局は無茶をせずに終わっていくことが多々あります。

この作品はけっこう正面きってやんちゃしていて、ある女性のツインテールを切る儀式を行い、その過程を半ば再生保存するかのように写真と祭壇で展示を行っています。

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キャプションが「ツインテール文化の発展を祈る儀式を行った。」「一人の女の子のツインテールを切り、切ったツインテールを神様に献上した」と、切れ味の深い謎を突き付けてくれました嬉しい。

 

◎とまりぎ出版

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子どもと絵本を作り、販売する企画。

ポイントとなるのは引きこもりの子供をワークショップに巻き込み、そして子供の描いたものをイラストレーターに依頼して描き起こすという工程。単なる体験型に終わらせていないのです。

 

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 ぱっと見て一発でわかる、このボードなど、学生の展示の域を超えています。京都造形大の取り組みには、社会に対する提案、課題解決の視点が随所に活かされていて、非常に面白い。企業・官公庁で長く生きていると、最も育て忘れる分野のスキルではないでしょうか。デザイン的思考。はい。

 

 

こちらはタグ研究。90年代後期~0年代初頭には都市部でやたらめったら見かけたものです。スケボー文化、グラフィティ文化が熱かったですね。皆いい歳になってしまったかな。普通に迷惑だし条例でしょっ引かれたりしますしね。で、こちらは日本の風習をタグ化して表現するという相当にクレバーな展示。

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お手玉がこうなるんですよ。

 

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向かいの建物に実際のタグが。えらく綺麗に書いてあるなあと思ったら作品だったのかという驚き。 

 

 

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 同じ服装をした生徒らが、家畜のごとくタグを付けられています。私達は何によって個体識別されているのでしょうかという問い。皆同じであると喝破できるかもしれないし、逆に皆やっぱり個々に個性的ではないかと明確に言えるかもしれない。この写真の場合は後者ですね。撮り手が被写体と親密であるがゆえに、全員の表情が実に豊かで、互いのことを認め合っている眼差しがあります。

 

 

という感じでした。お勧めなのであるがもう会期が終了している。

京都造形芸術大学の特徴は、作品を実際に買うことが出来る点です。特に関心の高い方向けのツアーも行われているようです。先行投資される方もけっこうおられるようで、アート市場が育っていくのは良いことだなあと思います。

 

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茶山駅しぶいなあ。