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写遊百珍

関西をメインに、美術館・アートイベント、登山、廃墟、珍スポットなど珍奇なものをご紹介。

第17回 大阪ヨーロッパ映画祭(1)11/20

11/20(土)

毎年毎年恒例の大阪ヨーロッパ映画祭に行ってきました。
本来は11/18(木)から始まっていましたが、日程の都合上「強盗」「闇を走れ」「美女とパパラッチ」は見に行けず。


会場が肥後橋駅すぐの「イシハラホール」に変更。JR北新地からでもまあ歩いてこれます。


内装、設備が数段豪華になった印象。スタッフがフロアに溢れていて人員過剰かと思うぐらい。
整理券の順番待ちが従来の屋外からついに館内になったのは嬉しい。



では今日観た3本をレビューします。




※もう二度と日本では観ることがないという思いのもとで書いているので、ネタバレが激しいです。
 ストーリーを伏せておいてほしい人はくれぐれも読まないでください。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『40』(英題『Forty』)
2009年/トルコ・アメリカ合作 87分


禍福は糾える縄の如し、といった様相の作品。


3人の中で私はダメ運び屋メティンがやっぱり好きだ。ダメ人間万歳。
死に方の報われなさはちょっといただけないが・・・どうせなら裏切りのかどでボスに銃殺されてほしかった。


スピード感あり、運命が次々に明暗を切り替えてゆく様がスリリング。
3人の登場人物がトルコ最大の都市イスタンブールを舞台に、大金の入った鞄を巡って騒動を繰り広げる。
彼・彼女らはそれぞれに社会的な立ち位置、経済状況が異なり、運、信仰、宿命の持ち方も全く異なる。本来なら出会ったり言葉を交わすはずのない彼・彼女らが、天から降ってきた大金入りの鞄によって、各々の切迫した生活と人生を晒しながら繋がり合うことになる。


3人の人物は警察で取り調べを受けているかのように静かに経歴を話し出す。イスタンブールという街のことを知らない私は、当然ながらどのような人がどんな場所で、どのように生活を送っているのかも知らない。三者三様の生活空間、人生が垣間見えて面白い。



一人目はダメな運び屋の男性メティン。暴力をふるう父親を刺し中学生ぐらいのときに地方から出てきて、生きるために犯罪を繰り返してはムショとシャバを行き来している。同年代が人を使う立場になっている中で、彼はタクシー運転手の傍らで運び屋をしている。明らかに下っ端。その冴えなさが素晴らしい。朝、目を覚ますと女の隣でオネショを漏らしてシーツもパンツもグッショリだ。ボスからは借金を作るなとたしなめられ、大きな仕事は任せてもらえていない様子。だが憎めない。私はこういうダメ人間それも中年男性はとても好きだ。


ボスから大金入りの鞄を渡され、ただ定時に相手に渡すというだけの仕事なのに、それすら出来なかった。死相が最も浮かんでいるのがまさに彼で、よくこの手の映画では呆気なく死ぬ役回りのオーラが漂っているが、例外ではなく彼もまたひどくしょうもないことで死ぬ。ご丁寧にもボスからの制裁シーンまである。なんせ、預かった鞄を紛失するのだ。中身は5万ユーロ。

女の家に立ち寄って窓際に鞄を置いたら地震が来て鞄が通りへ落ちてしまう。気がついた時には忽然と部屋から鞄は消えており、行く先など分からない。そして彼は、死亡フラグの立った人間としては  そこからが転々と繰り広げられるドラマなのだが、序盤〜中盤までは謎解きのようにコラージュ的に三者のシーンは分断され、断続的に切り替わってゆく。


二人目。メティンが失った鞄を偶然にも路上で手に入れるのが、ナイジェリアからコンテナで不法入国した黒人男性ゴッドウィル。
彼は初恋の女性を追ってパリへ向かうはずだった。が、何の間違いか、開いたコンテナから駆け出して市街地に混ざり込んだもののそこはパリなどではなく、イスタンブール。以来4年だか5年だか、こつこつと工場の旋盤工みたいな労働をして金を貯めている。なおも諦めず、パリへ向かうためだ。大金が要る。


ゴッドウィルは信心深く、ひたすら真面目だ。真っ直ぐだが純情すぎて彼は却ってダメなところがあり、そもそも生まれ育ちからして遥かにクラスの上の人生を歩んでいる初恋の人と今、再開したところで何も生まれるはずはなく、そもそも生きる世界の層が完全に分断されているから会うこともまずありえない。だが彼の目標はそこなのだ。見守るしかない。多分その彼女は外交官など世界を舞台に活躍する職に就いているだろう。
 

一方で、生計は立てているもののゴッドウィルはビザもパスポートもない、ただの不法滞在者だ。パリへ渡航するにも裏業界の顔役に1万ユーロを積まなければならない。それだけ積んでもリムジンが待っているわけではなく、またコンテナに入るのだ。仕事仲間らが住む雑多な集合住居の一室を借りていて、何もない部屋で寝泊まりし、早朝暗いうちから仲間が仕事に起こしに来る。寝床の裏には貯めてきた金が隠してあるが、親切心から宿を貸した見ず知らずの女に残らず盗まれてしまう。


一番不遇をかこつのがゴッドウィル。鞄を拾って一万ユーロを顔役に渡し、渡航の確約を得たまでは良かったが、後に唐突にタクシーに撥ねられてしまう。そして入院先で看護師に鞄の中身を見られ、なんと盗まれる。更に、鞄を手に自宅へ帰る女を尾行するも、女から叫ばれ「あの男が後をつけてくる」と騒がれて悔しさのうちに退却。後ろから女を殴り倒すとか方法は幾らでもあったはずだが、彼は真面目すぎ、優しすぎた。


その女が3人目(作中では2番目に登場するが)、名はサヴダ。看護師で、様々な宗教を渡り歩いて後、数に意味を見出し運命を読み取る「数秘術」なるものを信じている。が、これが良かったのか悪かったのか。院内の医師と結ばれたものの、その結婚は失敗。院内の看護婦全員と寝てクビになった夫。サヴダが家計を支えている。人生が詰んでしまっているサヴダだが、担当した病室で眠りに落ちているゴッドウィルのベッドの下には、大金の入った鞄が・・・。


4万ユーロという大金を得た彼女は夫を捨てて子供と二人で新天地へ向かおうとする。数秘術で判断したナンバーのタクシーの運転手はメティン。彼はボスから手痛い制裁を受け、24時間以内に鞄を取り戻さなければ始末される状態にあった。そこに、鞄を持ったサヴダ。今度はメティンにとっての恵みとなった。一方で肩を落とすサヴダ。今までと何も変わらない生活が続くのだ。合掌。


だが結末はまさかの唐突な展開でこっちがびっくりした。喜び勇んで駆け戻るメティンだが、いつものボスの事務所に行くと受付の女が死んでいる。静寂。なにがあった。ドアを開けるとそこには見慣れた幹部やボスが血を流して総倒れになっている。


( ゚〜゚ )そして想像を絶するぐらいしょうもない理由(咄嗟に呷ったペットボトルにハチが入っていて口腔を刺された)で、彼自身は原因が全く判らないまま横断歩道で死んでいく。40からカウントされていく歩道の表示。過去がフラッシュバックしながら息絶える。


完。


メティンは死に、サヴダは希望を抱いたものの振り出しに戻されたが、一番ひどい目に遭っていたゴッドウィルは紆余曲折あったもののパリへの渡航は何とか果たすことができた。最も得をしたと言ってもいい。勿論、一文無しの状態でパリに到着し、そこからはまた文字通り一からの食うや食わずの生活が始まるのだが。何処の街とも知れぬ片隅でネズミを野に放すようにばら撒かれる不法入国者らの姿は、これは初恋の人と理想の再開なんて出来そうにないな…と思わせるに十分だった。南無。



面白いのは鞄(金)を得た時、失った時とで彼らの表情の全てが一変することだ。絶望に打ちひしがれていたかと思うと、神の恵みを受けたように霧が晴れる。
「40」という数字が随所でつきまとってくるが、もっとこの数字がクローズアップされてもよかった。私には少し分かりにくかった。が、スピーディーな展開で、1本目に観るにはちょうど良かった。




毎年恒例のサインをねだる。
プロデューサーのサラ・ウィーナビー氏。
美人だ( ゚〜゚ )ノ




けっこう暗いのでf1.2だけれどもISO1600のプログラムで撮影。
補正は気持ち+1/3で。もう一段上げても良かったかもしれない。スピードが1/60秒ぐらい?
割とシビアだった。



監督・脚本のエムレ・シャーヒン氏。



http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/M/MAREOSIEV/20101120/20101120143530.jpg
お二人で。




( ^-^)ノ
ハタから見ればただのサインだし、私もサインを人にねだるのは全然趣味じゃない。が、これだけの面白い作品をこの人たちが作ったのかと思うと、敬意と憧れは否定できない。一瞬でも彼らと、その作品に触れて、いつもの自分と異なる人生を傍らで体感できたことを、刻み付けたいと思う。感謝。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『一日のいのち』(仮題)(英題『Life in One Day』)
2009年/オランダ 94分


そこいらの虫より儚い寿命の世界。儚いがゆえに美しい。
しかし「地獄」も味わい深い!



この人たちの生きている世界では、寿命がたった一日しかない。
えっ。



生まれてから成長し、成人になり、老化して、老衰で死ぬまでの24時間によって、我々と同じような社会を回している。本来なら絶対成り立たないと思うのだが、主観時間の密度などが我々と全く異なるのかもしれない。学校へ送り出した小学一年生ぐらいの子供が家に戻ってくる頃にはいい大人になっている。それも戦闘機乗りになっていて。だから知識や技術の習得、精神の発育などが非常に高レベルで成されていて、まるで人間離れした完璧さに裏打ちされた人達の世界なのではないかと思った。完璧な人間が住まう世界。それはまさに聖書的にはヘブンであろう。


とにかく美しい。刻一刻と「死」のタイムリミットが近づく中で、明日がないというのは潔すぎて美しい。人生の目的とか意味がシンプルだ。見るもの触れるものすべてが一期一会で鮮烈だ。


冒頭から主人公の祖父が「一生で一度の夜明け」を見に、歓喜で溢れるビーチに行き、穏やかな祝祭的ムードの中で波打ち際に膝をついて、天に召される。ソフトな光に満ち溢れた描写は胸を打った。主人公とクラスメートらの日常もまた美しい。


性の目覚め、異性への意識が生まれてからの描写には更に美しさが加わる。透明感があるが柔らかい光に包まれたような描写で、現実ではないかのようだ。一度オーガズムを感じると力を使い果たし、性的能力は永遠に失われるという。一生で一度の性愛のために皆は相手を探す。まるで虫だ。うちのカブトムシやクワガタも交尾一発で立派なオスが何匹も死んでいった。なんて無茶苦茶な世界だと思ったことがある。小学生の頃だ。虫ならオスとメスを隔離すれば良かった。人間は別だ。愛という感情がお互いを繋ぎ合い、未練は多大だ。セックスの後も、機能は失っても想いが消えることがなければどうするのか。二度と愛し合うことは出来ずにただ死を待つだけなのか。


主人公ら、ベニーとジニは「何度でも永遠に愛し合いたい」という欲望を持った。それを叶えられる可能性があるとすればただ一つ、大罪を犯して死に、「地獄」へ堕ちることだ。実在するのかどうか不確かだが、望みはそこにしかなかった。二人は愛のために地獄行きを決意し、盲人を残忍なやり方で殺害する。二人は電気椅子に括りつけられ、めでたく感電死するが、設備のトラブルでジニの死ぬタイミングが遅れてしまう。


現世と地獄の切り替わりが一番面白かった。時間の流れが黒く硬化したようになり、止まった時の中を死んだベニーが動いて処刑室の扉を開ける。荒涼とした汚れた世界が建物の裏手には広がり、叩き出されたベニーは「地獄」を駆け出す。それは彼が住んでいたのと同じような形をした、また非なる次元の世界だった。


私はそういう「今」「ここ」から少しずれた次元、その先へ行った後の世界などにひどく興味がある。どう表現するのか。異相へのチェンジをどう見せるのか。暗転した処刑室。電気椅子で項垂れるベニー。立ちあがっている自分。扉を開ける。外界。明らかに現世ではない世界。押井守AVALON」以来、今ここから異なる次元へ主人公が足を踏み入れる瞬間というものがとてつもなく重要なテーマになってしまった。ドキドキ。


遅れてジニが地獄に到達。彼女の経緯が不明瞭だが、二度目の感電でちゃんと死ねたのかどうかよく分からなかった。刑務所内の病院に一度入れられて治療を受け、自力回復した彼女はベッドを抜ける。病院の外へと向かう。この時点で既に彼女は死んで地獄に入っていたらしい。二人がお互いを探し合う地獄のクエストが始まる。


画面二分割が電気椅子で別々の部屋に入れられた時点から始まる。同時進行でベニーとジニの両者が映し出され、ラストの瞬間まで続く。互いに調和し、対称性を持ったり、シンクロしたり、全く異なる様相を呈したり、非常に工夫が凝られていた。1を2にすることで、それぞれが他の人間と出会ったり別の人生へシフトして枝分かれを激しく繰り返すので、非常にスピーディーだった。それぞれの人生を一つの画面でじっくり見てみたいと思わされる場面も多々あった半面、この拡散とスピード、まあ性愛と消費が毎日毎日変わりなく続く「地獄」にふさわしいと言えばそうか。


そこには現世にあったような、時を止めるような繊細で輝いた人生はない。「地獄」は我々が生きている次元とほぼ同じ、消費と連続、反復に満ちた世界だ。二人はお互いを求めながら、パートナーを変え続けて月日を巡る。本当なら一度きりの太陽や月の昇り沈みが何度も映し出されるのが印象的だった。


ベニーが何度も綺麗どころと寝ていたのは正直羨ましかったが…。「地獄」とはそういう世界らしい。互いにパートナーを求め合う。だが愛はうつろう。確かに。厳しい制限があればこそ集中された、洗練された人生になるが、無限で自由となれば逆に行先は見失われる。そのクエストに答えはない。本来ならば。だが二人には答えがあった。敢えて愛のために地獄を選び、タブーを破って突き進んだベニーのことを、ジニは「英雄」と呼んだ。彼のことは忘れられないとも。


それまでシンクロを続けながらも決して交わることのなかった二人の二分割画面は、バスの中で疲労でうたた寝をする間、徐々に溶け合ってゆく。異なるバスに乗っていたはずの二人が、他の乗客の降りた、行先不明のバスのシートで緩やかに手を繋ぎ合う。邂逅。そして終幕。これが現実に二人の間に訪れた結末だったのかどうかは観客に委ねられていると感じた。二人がまどろみの中でみた夢だったのか。願望の投影だったのか。地獄のタガが緩んで時空が溶けたのか。しかし美しいラストだった。地獄に来てからの二人は、それまでの純潔で純粋な愛とは全く異なる愛に生きてきたのだから。時に浮ついて定まらなくなる愛。時に他の目的や利益のために意図的に偽る愛。我々がこの世でさんざん繰り返していることを凝縮したようなものだが。前半のギャップが効いていた。


これだけ抱くシーンがあると発情しかねないのでR15指定確実だろうが、しかしガーデンシネマあたりで一般公開されてもいいような作品だった。ジニが本当の愛を見つけられずにしくしくするのが胸キュン。男妾としてわりと成功するベニーも虚しそうな表情が後半に増えてくるのも胸キュン。



カメラワーク、画面の画像構成にも学ぶものがある、いい作品だった。



監督のマルク・デクルー氏。


やべえキュートだけどかっこいいぞ。
( ゚〜゚ )/


http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/M/MAREOSIEV/20101120/20101120171427.jpg
プロデューサーのルネ氏と共に。



貰ったサイン。ありがとうごぜうました。


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サラエボ、希望の街角』(英題『On the Path』)
2010年/ボスニア・ヘルツェゴビナ、オーストリア、ドイツ、クロアチア 100分


ダメ男を見るならヨーロッパ映画祭!
色んなタイプのダメ男がいるよ!
ハタから見てたらちょっと愛せるけど当事者だったら身が持たないよ!!



はい。



タイトルからすると「ああボスニア・ヘルツェゴビナの…」「まだ傷跡が…」「あれはひどかったから…」となるのだが、そんなシリアスでシビアな暗い映画ではない。寧ろ、私はダメ男の滑稽さが際立っていて面白みも感じた。が、それは極端に不器用な男を用いることによって希釈されたメタファーでもあるのかなという気もする。今の旧ユーゴスラビアに息づいている、人々の傷と苦しみからの脱却について、酒などで身持ちを崩す人、急進的に宗教へ傾倒して心のバランスをとる人。失われた全てを補完されたように感じたことで居丈高になり、目の前が見えなくなってしまう人…それを少々ダメな男に代弁させたのか。



主人公ルナのパートナー(多分正式に結婚していない?)、アマル。この男が作中で大転換するが、結果として幸せな生涯を共にすることが困難になってしまう。


空港の管制塔で働いているアマルだが、同僚が彼のコーヒーに口をつけると「酒じゃないか」「よこせ 俺のだ」


(/ _ \)おうい。



停職。



しかもイスラム原理主義の友人から「朝の10時から飲んでいるのか」と。おうい。あんた禁酒で病院通ってるのに。おうい。


根は優しくて不器用な男だが、精神的には危ういタイプだ。それはアマルの生来の性格かもしれないし、激しく残酷な内戦のためにそうなったのかは作中では不明だ。でも弱いままの方が二人の人生にとっては良かったのかも知れない。すれ違いはありつつも幸せな瞬間が多く見られた序盤に対比して、アマルが厳格なイスラム原理主義に傾倒していくあたりからルナの表情は徐々に曇ってゆく。最終的には、ルナは出産を拒む。



アマルの精子が薄すぎるため2年経っても子供が出来ずにいた二人だった。多分原因はアマルの飲酒と喫煙か。人工授精への決断もストーリーには関わってくる。だが後半でルナは、にわかイスラム教徒へ変貌してしまったアマルを受け入れられなくなり、人工授精を拒絶する。あれだけ願ったことだったのに、もはやアマルと二人で未来へ歩むことが分からなくなってしまう。ラストでは自然受精していたことが判明するが、ルナは生むことに疑問を呈する。最終的に彼らがどんな結末を迎えたかは想像するしかないが、バッドエンディングの方がありえるぐらいの文脈で、面白かった。



アマルの変貌ぶりというのが怖いぐらいで、距離を置いて見ているから面白いのだが全くもって「にわか」で宗教などへ傾倒していく人の典型的な例を見ているようだ。飲酒で停職となった彼はイスラム教徒の友人と再会する中で、パソコン教室の仕事を得るが、それは彼らイスラム原理主義集団のキャンプで生活することでもあった。辺境の湖畔で、世俗的なものから遮断され、コーランが流れ、戒律の講和が満ちた環境。一度訪れたルナは我慢ならず飛び出してしまうが、アマルには恐ろしくよく効いたらしい。目つきの変貌が素晴らしかった。


しかし如何せん「にわか」なので、家で行うメッカへの祈り方もどこかぎこちない。型どおりには行っているのだが…。モスクでの礼拝もまだ型を知らなくて頭をつくタイミングが分かっておらず、一人だけ動作が違うなど、ポイントが高い。極めつけはモスクに通い始めて数日目なのに「僕たちは正式なイスラム教の結婚式を挙げるべきだ」・・・いやちょっと性急すぎますが。そしてルナの実家、祝いの席で「イスラムの祭りごとに酒とは何事か!」「侮辱している!」と物凄い形相で怒り始める。あんたはいつの間に宗教家になったんだ、とたしなめられ、特に言い返すことも出来ず憤然として席を立つアマルの姿はまさにどうしようもないダメの香りが。



今なお、東欧社会は複雑な状況にあると思うが、それとこれとは別というか、前へ向いて歩いていこうとしても、まっすぐ歩ける人と、どうしても変な方向にしか歩けずに溝にはまったり川に落ちたり車に轢かれる人というのがいると思う。どちらかと言えば生来的な要素において。アマルはまさにそういう、カルマ的なものを一身に背負っているような役回りだったが、それは私が東欧の歴史を抜きにして観たからかも知れない。本来の狙いからすれば、今の東欧でうまく傷から脱却できず、乗り越え方も不器用で不確かな人達を凝縮したキャラと言うべきかも知れない。


面白かった。



この回はサイン会がなかったので、写真はなし。
ショートヘアのルナが可愛い。
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つづき
ヨーロッパ映画祭(2)http://d.hatena.ne.jp/MAREOSIEV/20101121
(3)http://d.hatena.ne.jp/MAREOSIEV/20101122
(4)http://d.hatena.ne.jp/MAREOSIEV/20101123