nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

国立文楽劇場

国立文楽劇場



2010.02.14


というわけで国立文楽劇場に行ってきた。
職場で申し込んだ『さんしょう太夫』(説教節)を観に行くためだ。


場所は、大阪市中央区日本橋地下鉄の駅を降りて徒歩1分で着く。
劇場までの地下通路は一部、特別に黒色、柿色、萌葱色の「定式幕(じょうしきまく)」デザインで塗装されている。
永谷園お茶漬けのデザインですね。



電器店、DVDショップの並ぶ関西のアキバ風な一角「日本橋」はここから更に西に行き、堺筋で南下しないといけない。
日本橋」にはよく行っていたのにこの建物は知らなかった。


http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/M/MAREOSIEV/20100214/20100214111223.jpg
銀色の渋い建物。これが国立文楽劇場



なんと「メタボリズム」で有名な黒川紀章氏が設計している。
無駄のないすっきりした建築だ。そして活力がある。
東京国立新美術館関西国立民族学博物館の設計もしている。


どうしてもスタイリッシュ&個性的な世界観から安藤忠雄建築のほうが記憶にビシッと残ってしまうが、黒川のオッサン(敬意を込めて『軍鶏』風に。。)の建築もなかなか味があり、素晴らしい切れ味を誇っている。これはいい機会、じっくり見てみます。



wikiのデータを引用すると、

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鉄骨鉄筋コンクリート構造 地下2階・地上5階
建築面積:3,924.874m²
延床面積:13,169.911m²
設計:黒川紀章
第2回 公共建築賞最優秀賞受賞

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とのこと。
今回は2階大ホールで上演されたため、1階メインフロアと展示室、中央階段、2階大ホールと休憩スペースしか見ることができなかった。他にも裏側の螺旋階段や、漫才落語などを演るための小ホールもあるのだが、閉鎖されていて未知のまま。



http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/M/MAREOSIEV/20100214/20100214111333.jpg
国内で4番目の国立劇場として1984年に開館。
大ホール/文楽劇場(753席)、小ホール(159席)という規模を持つ。

割と大きい。堂々としたフェイス。




引いて正面玄関を。
意外にも全体的にすっきりした印象。


まあ公演ついでに撮ってるんで、色々と写真としては甘いぞという批判も多々あるかと思いますがここはひとつこらえてください。



斜めから。
のぼりが数本立っていた。

割と本数は少ない。




今日の演目『さんしょう太夫』(たゆう)。
これがまたバリバリの民衆苦、圧制苦、解放願いの色濃い作品で、まあ日本の歴史も捨てたもんじゃないと感じる。観るまでずっと、でっかいサンショウウオの話かと思っていた。サーセン。まじで土下座



ロビーへ入ったところ。
手前の物販コーナーは2階でも同じのを開いているから閉鎖。
奥には「文楽茶寮」という喫茶・食事処がある。セレブなことしてられんので寄ってません。



反対側を。
中央入口を入ってまっすぐにチケットカウンター。
向こう側に何があるかは散策してないので見てません。



いつもより写真がわりと適当なのはご愛敬。
ガチで撮るべき場所でもなかったんで・・・。そもそも許可取ってないし。



2階。大ホール横の休憩所。
天井と床のシャープな印象は好きになった。ほどよいクール感が良い。
間の休憩30分時にはここが人で溢れ、ソファーと机が昼飯組に占拠されることになる。合掌。


階段側にある売店では菓子が中心に売られている。文楽の関連書籍もあるが、やはりこうした舞台ものは食い物が最優先のようだ。
休憩所の端には助六寿司弁当を売るブースも。



休憩スペースです。いろんな夫人や中年の方が写りこんでいます。これ観客のリサーチしたら年齢層や収入、趣味などの社会的属性が非常に整ったデータが取れそうに思う。まあ若造はほとんどいなかった。余裕でツレチャフ氏が最年少若手にランクインしそうな勢い。中高年が圧倒的に多い。歌舞伎よりも更に渋い年齢層かと。


定年後の夫婦が余暇の楽しみ方として選ぶことも多いかと思った。そういう夫婦って素敵ですよねーうらやましい。まったく。チッ。
二人で助六寿司を半分こしながらつついたりさ。
あの俳優さん実力あるねーとかあの金切声は美輪明宏みたいやったねーとか浮ついた会話しながらさ。チッ。




というわけで休憩時間に助六寿司を買ってみた。
これははずせません。風物詩。
チャフ氏と仲良く分けて食べました。おいしかった。
うちの実家の近所にある冴えない寿司屋のそれよりも旨かったので満足。900円。



助六さん。
おいしくいただきました。ペロ。


しかし写真にしてしまえばどこの寿司とも変わらんな・・・。




文楽の人形が安置されていた。
どの演目で使う分だったかは完全に忘れました。
額とか顎がどっしりしている。
ちょっと背後のいろんなものがガラスケースに反射してしまった。



窓から見下ろしてみた。もっと全景を写すべきだったか。
黒川紀章の設計を好きになりました。・なかなかすらりとしている。




外観、裏から。
全然わからん。なんぞこれ。



国立文楽劇場の近辺はラブホが立ち、少し行けば黒門市場
居酒屋が多く、夜の町といった風情である。文化的施設のすぐ裏路地が性愛の渦巻くいかがわしさを秘めているとは、これもまた一興。

昼間にうろうろしても面白さが掴めなかったのは当たり前。
今度はまた黒門市場でも特集してみようかしらん。

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今回観た演目は『さんしょう太夫』という『説教節』。
人形は一つも出てこない。


圧政に耐えて苦しむ民衆の地獄のような苦しみを練り上げられて語られる物語。しかし説教本定本として世に出てからは、勝手な改竄がなされ、教科書に載ったりしている間に悲惨さ、怨念の調べが消されて美しいクライマックスだけが強調されるようになったと公式パンフレットで作家の水上勉が評している。


今回の公演は「前進座」という老舗劇団によるもの。
戦前、1931年に立ち上げてそれ以来ずっと活動しているという実力集団である。
私が見たいのは「悪」である。「悪」がきちんと機能していればこそ、どんなストーリーも深く輝く。カタルシスも深いものとなる。
期待以上に素晴らしい舞台となったのは言うまでもない。



パンフから引用した情報によれば、この物語は「貴種流離」と「長者伝説」の組み合わさったものだという。
前者は、高貴な身分の者が不幸な境遇に落ちぶれ、その困難を乗り越える旅、冒険の末に世に出て、正義を発揮するというもの。
後者は、長者の栄光と没落を語るもの。それまでの絶対の栄華が非条理な悪事の末に、一夜で滅びるという類型。
そこに、仏教信仰としての「身代わり地蔵」(金焼地蔵)の伝説が絡み、最後には勧善懲悪、救いがもたらされる展開となっている。しかし、救いに至るまでの理不尽な人身売買強制労働の様子は、芝居だと分かっていながらぎりぎりとさせられるほどの苦みに満ちていた。



絶対的弱者と絶対的強者が形作る支配の構図が、強固なフレームを与えていて、全くブレがない。
主人公;「あんじゅ」と「づし王」の姉弟は越後の国の直江津に差し掛かったあたりで、人買いの山岡太夫に騙され、母親と乳母とは強制離別される。そして丹後の国の「さんしょう太夫」の元へ売り飛ばされてしまうというところから物語は始まる。


公家貴族武士ら向けの演目ではなく、あくまで民衆下層で語り継がれてきた物語である。語り手もまた、身分としては低い(賤しい、という方が適切か)声聞師(唱門師・千秋万歳などの芸能を生業としていた人々/wikiより引用)であり、奴隷的身分の苦しい扱いを生々しく反映した描写となっている。


物語の半分以上を占めるのが、さんしょう太夫とその息子「三郎」によるひどい仕打ちである。前編のほとんどと、後編の半ばまでは、これ。あんじゅ&づし王の姉弟に課せられる重労働といじめのねちこさ、与える罰のひどさ、恫喝虐待、そして火責め水責め、あんじゅ殺害。逃げ延びた弟づし王を追って、国分寺にまでなだれ込み、づし王をかばう住職を相手にわあわあ言う不遜さも流石である。相手は仏に仕える身分なので、そこいらの奴婢、農民とはわけがちがうはずだが、丹波の一帯はさんしょう太夫の完全勢力圏にあるらしい。誰も太夫に逆らえないのだ。リアル、北朝鮮



演技の凄みがよく判るところだが、苦しむ演技はちょっとしたことでもすぐ嘘くさくなる。ひいひい叫んでいればよいものではない。額に焼きごてを当てられる瞬間や、燃え盛る真っ赤な炭に顔を押し付けられるところ等は、思わず手に汗を握ってしまった。
呼応して、責める側の「悪」が徹底していなければこれまた嘘くさくなる。悪の中の悪、「三郎」は表情も言動もパーフェクトであった。






この演目は一方で、きょうだい関係を楽しむ作品でもあった。
まずあんじゅとづし王の姉弟だ。しっかりした気丈な姉に対して、優しすぎる弟。脱走の手はずを整え、あとは逃げるだけの状況にありながら、姉の身を案じてどうしても行けない弟。緊急事態の真っ只中で非常にじれったいモジモジした態度は観ていても焦るのだが、姉は観客以上に焦っているからブチ切れ方にも力が入る。最後は絶叫していたもんなあ。そりゃ叫ぶわなあ。

かと思えば海に塩水を汲みに行かされて、おけを流されてあーーーどうしようあーーーーどうしようーーーと混乱し嘆き続ける姉、そんな姉を気遣って止まない弟・・・と、互いに弱さを見せ合うところに姉というものの妙味を感じたのでした。



その姉弟に対して「さあ今日からは、私を姉と思いなさい」と超姉貴肌を見せつける女性が登場する! なんだこの展開は。あんじゅとづし王と同じく、いやもっと昔から人買いに騙されて、苦役を強いられては脱走を繰り返してきた奴婢だ。この業界キャリアも長く、耐えて生き延びることについては熟知している。生きていればきっとチャンスがあるとの確信からあんじゅとづし王の姉弟に超姉発言をかまして手を握るのだが、その後、あんじゅ死亡&づし王の出世後は「我が姉となってくだされ!」等と言われて本当に姉の永久代打となってしまう。なんだこの展開は!! この作品は、姉を巡る旅でもあったのだ。



もう一方にもきょうだい関係がある。さんしょう太夫の息子二人、二郎と三郎である。兄の二郎は優しくて人道派、情に厚く、良識人だ。対して弟の三郎は父親似で圧政暴虐の化身。労働者らを支配し管理するためにはいかなる暴力的な手段でも厭わない。表面的には二郎の方が人間的に優れていて、影のヒーローみたいなのだが、優しさは弱さの裏返しのようでもあり、己の正義を貫き切れない。腕力と豪胆さで勝る三郎にいつも突き飛ばされて完全に脇役である。現実的には三郎の方が支配者として理に適った生き方をしていて、己の利益を守るために自らの手を汚しまくり悪態を吐く姿は悪として非常に正しかった。


最後の最後、さんしょう太夫ののこぎり引き処刑では「ええい!俺がやる!」と三郎が自らのこぎりを手にし、父親の首を少しずつ切り刻んでゆく。地に膝を付き、せきあげる様々な感情をこらえるので精一杯の二郎に比べて、この三郎の潔いまでの悪とは、「頼りないお兄ちゃん」として生きてきた私自身の弱さとか何やらいろんなものを思い起こさせる作用があり、目頭が熱うなってしもうたわ。いやはや。おそろしいものである。




そんなこんなでした。