写遊百珍

関西をメインに、美術館・アートイベント、登山、廃墟、珍スポットなど珍奇なものをご紹介。

第16回 ヨーロッパ映画祭(4)

(11/21  http://d.hatena.ne.jp/MAREOSIEV/20091121/
(11/22前編 http://d.hatena.ne.jp/MAREOSIEV/20091122/
(11/22後編 http://d.hatena.ne.jp/MAREOSIEV/20091123/


11/23(月)
これで大阪ヨーロッパ映画祭も最終日。最後の3本勝負です。
観るのに集中してメモをあまり残してなかったから、レビュが薄いです。
ひい。

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(1)原題『Pora umierac』、英題『Time to Die』、
  邦題『美しく生きて 〜アニエラと犬〜』07’ポーランド


じわじわ来る作品。もしかしたら今年の映画祭ナンバーワンの底力かも。
映画経験をかなり積んでいるだろう、司会進行の女性が感極まって「いやあ〜〜まだ興奮しています!素晴らしい映画でしたね!」と感嘆を漏らしていました。


私はまだ若造過ぎたのか、そこまで没入できませんでした。しかし将来、年を経ていくにつれ感じ入ってしまうことになるだろうという予感はありました。自分自身の「死」、それも疾病や事故ではなく、純粋に年を重ねたがゆえの寿命というかたちでの「死」を自覚する頃になれば、この作品はかけがえのない意味を持つと思います。


非常に静かで、淡い光に満ちている作品。けれどもユーモアのある、可愛らしくすらある不思議な作品。
ヒロインの女優(ダヌタ・シャフラルスカ)は撮影当時91歳! しかし実年齢を超えたチャーミングな表情、動作は信じがたいほど。
特にそれが表れているのが、電話のベルが鳴り響くシーン。主人公アニエラは2階にいる。息子からの電話に違いない、取らなければ、と駆け出すアニエラは、小走りで階段を駆け下りて電話へと向かうのです。踊り場のある割と長い階段を、普通に走って降りてくるのは、これぞ驚嘆に値します。



周囲を森に囲まれたワルシャワ市内の木造屋敷に一人で住むアニエラの、人生最期の瞬間までを描いています。社会主義下では強制だった下宿人との同居も、最後の一人が出て行ったことで終了となり、アニエラ一人に。

作中ではほぼ彼女のモノローグで語られるのだが、監督が「ヒロインに孤独なモノローグをさせたくはなかった」と語るように、愛犬「フィラ」とあたかも会話のキャッチボールが成り立っているかのようなカメラワークが軽妙です。アニエラとフィラを交互に同じ時間、映し出して、二人(?)の間に流れる何とも言えない関係を浮かび上がらせます。


愛犬フィラとの絡みはそれだけでも観る価値があります。間合い、沈黙の「間」、犬の僅かな動作や物音がアニエラに対する返答として生きてくる作りで、舌を「ぺろっ」、うつむいて「くうん」、小首をかしげて「?」、リキュールが旨そうだと「ふんふんふんふん」。

当初は演技を覚えさせた犬を起用していたのが、撮影していてやはりそれでは面白くない、ということから、別の犬に交替したそうです。アドリブの結果がこれなら奇跡としか言いようがないです。



原題の本来のニュアンスは「あらあら、どうしましょう」「まあ、困ったわ」という少しチャーミングなもので、この映画には全く悲壮感がない。時折、ふっと寂しさや不安がよぎることはあっても、気丈に立ち向かうアニエラの姿と、淡い質感の映像がそれをもっと別のものに昇華してくれる。本当だったらもっと歳をとってから観たかったです。


二階の窓、テラスから周囲の隣人の様子を双眼鏡で観察するのが日課となっているアニエラですが、ある日、不審な二人組の男が自分の庭に立ち入って何かを調べているのを発見します。リッチな隣人夫婦が彼女の土地に関心を示しており、ぜひ買い上げたいとのこと。


思い出があるからどうしてもこの家は手放したくないとアニエラは息子に一緒に住むようにも言うのですが、全然乗り気ではない。孫も食い物にしか興味のない肥満児。近所の他の子に「デブは帰れー」と言われて「パパはどこ? あたし帰りたい」と泣いてるか、食ってばかりいる。

隣人宅に息子が直接乗り込んで話をしてくれるというので、交渉を任せたその夜。ふと目を覚ましたアニエラが偶然耳にしたのは、息子が嫁に「母さんは気付かない」と、屋敷の売却を語るところです。嫁が止めるのも聞かず、息子は勝手に決めてしまった様子。



「大きな試練だわ」アニエラは呟きます。



ここからアニエラは、終の棲家として住み続けるつもりだった屋敷を、自らの手で処分することを決めます。
その強い意志、何ものにも媚びたり恐れたりせず、自分の人生を全うしようとする最期の行動は、ああ、ほんまに、私は後期高齢者になってから観たかったよ。



私が90歳とかになる時までに流通していてほしい作品。ぐすっ( ・_ ;)


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恒例の舞台挨拶。
監督;ドロタ・ケンジェルザブスカ氏(右)と、撮影監督;アルツール・ラインハルト氏(左)。


映画祭の回数を経るにつれ、「都合のため来られなくなりました」が減ってきて、もう毎回特別ゲストが登場するようになりましたね。昔はキャンセルと半々だった気がします。



監督;ドロタ・ケンジェルザブスカ氏


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撮影監督;アルツール・ラインハルト氏

サインに並ぶ人間の顔ぶれが完全に同じなので中途半端な知り合い感が気持ち悪い。うう。

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屋台村で昼飯をついばむのもこれが最終日です。スペイン料理の盛り合わせと、白ワインをいただきました。



何かを切り出しているところ。
四足獣の脚? チーズ?  



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(2)原題『Forasters』、英題『Strangers』
  邦題『隣人』/08’スペイン


レビューとしては最後の作品になります。


個人的にはこの映画は一番良かった。コミカルな家族劇の描き方が徐々にシリアスになり、実の家族の繋がり、死と看取り、歴史の繰り返しを掘り下げていきます。

作中では二つの時代;過去(60年代末)と、現在(2000年以降)が度々切り替わり、同じアパートの一室、同じ家族が対比され、それぞれの家での「死」をクライマックスに迎えます。


家系図を書いてメンバーを整理し、「過去」と「現在」のシーンでの登場人物を整理しないとレビューできないので、あんまり詳しく書きませんが、また観たい映画です。


「過去」では一家の母親;エマが、「現在」では当時の駆け落ちで飛び出した娘;アナが、同じく末期がんに侵され、自宅のベッドで激痛に耐えながら終わりを迎えようとしている。同じ女優がダブルキャストで演じているので対比は効果的。

構造は相似的ながら、キャラクターの立ち振る舞いは時代で異なる。元はセルジ・ベルベルという劇作家の戯曲だったものを映画に書きなおして作られていると聞いて納得しました。同一空間とキャストを使って、二つの世界を対比して切り替えてゆくという手法はまさに演劇的だったのです。


そこに、一つ上の階の住人も絡んでくる。文化の異なる移民の一家で、楽器を鳴らし歌い、足を踏み鳴らすため、病床についている者にとっては苦痛となる。それがきっかけで外国人の一家とも関係が生まれるのだが、内内の家族関係が健全に機能していない中、彼らとの関係は時折、まるで実の理想的な家族のように光って見える。


この家庭の崩壊は深刻で、現在へ下ると更に悪化しているのではないかと思わされる。「過去」ではまだ母親が親として機能していた。子に忠告を与え、いけないことはいけないと、病の身を押して声を張り上げていた。息子、娘らの本質を誰よりも見抜いていて、悪態をつきながらでも「家庭」のかたちを守ろうとしていた。
にも関わらず、彼女の死後に一気に解体が進んでしまうのだが・・・。

「現在」では家庭の解体がより顕著で、病に倒れたアナが日々弱っていく中、これまた日々、「家庭」のかたちを失ってしまった家族らの姿を見ることになる。鉄火肌の母親エマと異なり、当時あれだけ威勢よく口論し反発したアナは弱弱しく、周囲の人間に忠告を与えることもない。戸惑いや、自分がそこにいさせてもらっている申し訳なさもあってか、控え目で、一層、家庭の病が引き立つ。


これ以外の各キャラクターも素晴らしいコンテンツを秘めているのだが、到底書ききれません。アナの父親は一見まともな、愛らしい白ひげの老人かと思いきや、アナの鎮痛用モルヒネを勝手に乱用してラリっている。アナの息子でエマの兄はゲイで、自分の男友達がエマと仲良くしているのが怖くてならず、母親アナから「普通に結婚して、男は金で買え」と真剣にアドバイスされる始末。そしてアナの死を受け止める勇気がなく、例の男友達と大雨の中、車中で行為に及ぶ。


なんで家族なんてやってるの? と真顔で聞きたくなるような状況が散乱していて、それが、エマとアナの二人の死により、解決は見ずにとにかく物語としては終わらされる。それまで数十分、十数分の間隔で切り替わっていた「過去」と「現在」のフィルムは、死においては数十秒ペースで目まぐるしくなり、母と娘は時代を超えて同一人物であるかのように同じように事切れてゆく。



どこをとっても「愛憎」その二つが食い合うような作品。


これはガチでもう一度観たい。
演劇そのもの。スピード感に優れ、かなり忘れ去っている個所もあるので・・・と言ったところで日本語字幕のDVDなんて私が生きている間に出るのか? ぐう。。


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監督にして、大阪ヨーロッパ映画祭の名誉委員長。ベントゥーラ・ポンス氏。
気さくなおっちゃんでした。


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柔和な人ほど、裏に隠された実力が計り知れない。


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サインをねだりに行きました。ミーハーと呼んでくれ。

パンフレットの使い道=サイン帳。今年もたくさん貰えました。キャ。



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ありがとうございました。

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超乱雑ながらのレビューでした。


まじでDVDあるなら買いたい作品ばかりです。日本語字幕があれば・・・。

mixiにも書いたんですが、「去年までより自分の感性が衰えたようだ」「激しく情動しなくなった」についてですが、去年や一昨年のラインナップを見返してみたんですね。そしたら、


( ー_ー)” 単純に過去の作品の方が一発あたりのインパクトが大きかった。


今年のはじわじわ系だと思います。

あと、西欧映画のパターンを体が獲得して、刺激に慣れたというのもあります。
静謐な美しい情景の中、主人公が自害してバッドエンディングで終わる、当面の問題は一切解決せずに、何かを抱えたまま終わる等。



それもまた良し・・・。