写遊百珍

関西をメインに、美術館・アートイベント、登山、廃墟、珍スポットなど珍奇なものをご紹介。

【映画】第16回 ヨーロッパ映画祭(2)

(11/21(土) http://d.hatena.ne.jp/MAREOSIEV/20091121

11/22(日)前編


日曜日も行ってきました。
さすが映画祭。大変堪能致しました。けつがそろそろ限界ですが、しかし面白さとレア度には換えられません。


どのようにアプローチしていいか解らないので、支離滅裂な文章になっているかもしれません。ご容赦ください。
各作品の正確なあらすじについては「大阪ヨーロッパ映画祭」公式ホームページに委ねますが、何しろ、日本で次に観られるのがいつになるか本当に分からない作品ばかりなので、忘れ去ってしまわないために、自分自身の記憶のためにも書いています。ゆえに、長いです。



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(1)原題『Little soldat』、英題『Little Soldier』
 邦題『リトル・ソルジャー』 08’デンマーク


今年のヨーロッパ映画祭は「親と子の関係」を描く作品が多いです。普遍的なテーマではありますが、例年より主軸となっているという実感がします。


主人公ロッテは元兵士で、二か月前に帰還したところ。精神のバランスを欠いていて、部屋は乱雑に荒れており、ファーストフードの食べ散らかした跡、食器が散乱し、酒浸りの生活になっている。冒頭から扇風機の駆動音や街の花火、車の通る音が強調され、まるで戦場の緊迫感がそのまま続いているかのようです。



運送業」を営む父親が彼女の荒んだ生活を心配し、仕事を与えます。事故で免停となっている自分の代わりに、ロッテに運転手を任せることに。外へ食事に連れ出してあげたり、何かと父親はロッテのことを気にかけているのですが、親子らしい触れ合いは冒頭をピークにどんどん減っていくので寂しいです。


父親の仕事に関わることで、「運送業」とは、他国からの移民女性を引き受けて売春させるセックス・トラフィッキングのことであると知り、ロッテは困惑します。しかし最初から強く撥ねつけるのではなく、何だかんだ言いながら仕事を手伝っている。
父親が売春という仕事の斡旋を通じて、彼女らを経済的には救っていることを頭では分かっているからでしょうか。父親が倒れたときに「船が座礁してしまった・・・船を救わないと・・・」とうわ言のように口走っていました。



人身売買、売春とくればイコール犯罪で、させられる側は「被害者」という立場であると捉えるのが常態化していますが、この映画ではそのレッテルを突き崩されます。まず、彼女ら北アフリカの女性が売春という仕事を求めて密航して入ってくる。目的は現金獲得。事業主もそれに応えるような仕組みを作り上げており、もっとダーティで劣悪な環境なのかと思っていたのですが、ビジネスライクに運営されていることが分かりました。定期的に他の地域の業者と女性をトレードしたり、その土地でトラブルを起こした場合は他の土地の業者に引き渡すなどのシステムがあり、興味深かったです。


リリーだけは、ボス(=ロッテの父親)の愛人であるため別格の扱いを受けていて、「私はラッキーだ」「豪邸を与えられて・・・他の子は家賃まで取られるのに」とのこと。当の「その他の」売春婦らは、うす暗く妖しい娼婦窟のようなところに住まわされています。暗い廊下に無骨な壁とドアが続き、粗末な寄宿舎といった様相です。新入りも中に入るや淡々と振舞っていて、そこに悲惨さや悲しさは全く無いのです。ロッテは私たちの側のフィルター(移民売春婦=被害者→労わるべきでは?etc)を有していて、それが画面から伝わってきますが、娼婦たちのタフさは要らぬ節介とばかり撥ね付けます。


一番その反応が激しかったのがリリーです。
まともに話も交わさない。父親の代わりでリリーの送迎兼ボディガードとして二人で車に乗る毎日になり、リリーから従軍のことを少し聞かれたロッテ。自分もリリーの子供のことを尋ね、「何年前から会っていない?」と質問したところで「取り調べ!?」と冷たく打ち切られます。


ここでリリー「何のために(従軍を)?」、ロッテ「正義のためよ」とのやりとりがあり、ロッテの言う「正義」という観念が終盤で思わぬ発揮のされ方をします。非常に重要な言葉です。



軍人あがりのロッテには、優れた腕力と度胸が備わっていました。暴れる危険な客をぶちのめし、密室で銃を突きつけられたリリーを鉄拳で救出したことで、店の女性らから信頼を得ます。リリーとの距離も一気に縮まり、心の通い合う会話をできるようになります。

男の銃口から解放されたリリー。「もう大丈夫」とふっ切り、車に戻って、次の客の予定を確認しますが、ロッテが腕を回し、そっと労うと、涙が吹きこぼれます。二人が繋がった瞬間でした。「嫌なことは記憶から消去するのよ」と、酒を飲み、車から爆音で音楽を流して踊る二人。どんな目に遭っても、いつもと同じように「仕事」をしなければならない。我々には真似のできないタフさに生きているように感じました。



しかし、一方でロッテと父親との間には、どんどん溝が深まっていく様子を見せつけられます。これが観客として苦しいところで、黙って観ているしかないから辛いです。暴れた客を、バットを手にした父の代わりに拳で黙らせたロッテ。「よくやった」と呟く父親。「それだけ?」ロッテはこの上なく心外だ、と、やっとのことで一言を父親に放ちます。

私はもう悶々として、「大丈夫か、とか、俺の娘よ、とか言って、抱きしめてやれって! なんかこう、ああもう、愛情で抱いてやれって!!」と、身悶えしていました。案の定、父親は「すまん」「おまえはタフだからな」などと、恐怖を押して身を呈して戦った娘に対する態度とは思えないほど客観的な言葉を述べただけでした。父親の表情は恐れとも何ともつかぬ、ばつの悪そうなものがあり、もっと他に色んな感情がないまぜになっていたと思いますが、ロッテにはきっと「娘として愛されていない」としか伝わらなかったでしょう。



決定的になった「父と娘の親子関係」の形がこの後も炙り出されます。
幼い頃に母を亡くし、祖父母の手で育てられたロッテは、父との関係が希薄だったのか、どうしても何かが納得いかず、満たされていない様子を見せます。「私にはそれだけ・・・?」という無言の問いが眼から感じられます。父親もそんなロッテの眼の前で、愛人でもあるリリーをあたかも愛娘のように可愛がり、のろけまくるのです。


客観的に見れば、金のある中年男性が、金で囲った女に「パパ」と呼ばせ呼ばれる遊戯的な関係にすぎないと気付くはずですが、精神的な拠り所を持っていないロッテにとって、それは無理な注文でした。でき始めた自分の居場所(=父親の仕事)を肯定してゆくための最も重要な根拠は、恐らくは父親からの愛と信頼だったと思うのですが、父親は「車を出してくれ」ぐらいしか言わない。リリーには「おおよしよし、大丈夫だったかい」みたいなラブっぷり。これはひどい


「車から変な音がするの」としきりにロッテが口にするのは、幼い子供が親の気を引くのに「おなかがいたい」「あたまがいたい」と訴えてみるのと同じような原理なのでしょうか。


父親」に対する「娘」という役割を与えてもらえないロッテは、母国の息子に送金するリリーを守ることに目覚めます。ロッテの「正義感」=秘められた幼稚さが終盤で一気に行動を伴い、具現化します。
客を殴り、リリーを連れ出してしまう。配置換えになったリリーを、客を装って呼び出し、大金を渡して帰国を迫るロッテ。


リリーは「バカげてる」と心の底から迷惑そうでした。「これは善意よ」「善意ね」全く実りのないやりとり。ロッテは「帰国しなければ警察に通報する」と、本末転倒なことを言い出します。
自分の信じたプランが、相手の幸福であるという思い込み。「ありがた迷惑」という言葉がこれほど似合う場面を他に知りません。


ちょっと満足そうなロッテに対し、空港での別れ際に、リリーから笑顔はありませんでした。


夜。店の金庫の金をカラにし、パスポートまで全部リリーに渡して高跳びさせたことを知った父親から呼び出されて「痛みから学べ」と制裁が加えられます。
「世界を救えるとでも?」


父親は自分ではとてもではないが娘をバットで殴ることなんてできず、長い時間逡巡し、やっと殴ります。最後は泣きながら殴っていたと思います。


自分の考えたリリーという人、こうであるはずだという正義や幸福の観念が、現実には全く的を得てはいないということを知ったせいか。或いは、おそらく生まれて初めて、父親から本気で打たれ、本気でぶつかり合ったせいか。人のいない車道沿いを一人、無心で歩き続けるロッテには、美しいぐらいの透明で虚無的なものがありました。


会場からの質問で、「リリーは後にナイジェリアへ帰ったのか? それとも父親の言うようにロンドンで降りてしまったのか?」というものがありましたが、恐らく後者だと思います。



もしかしたらですが、ロッテの従軍〜退役について、かつて戦場でも同じように自分の「正義」をふりかざしたものの、全く現実とマッチせず、へしがまされたがゆえに戦争から予定より早く帰還し、失望や虚無感からメンタルが冒頭のようになったのでは、ということも考えさせられました。





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ナイジェリア出身の娼婦リリー役で力強い演技を見せた、女優ローナ・ブラウン氏が登場。
こんなにキュートだったとは! 

作中ではタフで、サヴァイブの意思を根強く持ったプロの娼婦にして母親。きつめの商売風メイクで、カツラを被り、妖艶ながら「遠い祖国の息子への仕送りのため、どこまでも生きてやる」という力を見せつけたのですが。


よく、女優は「画面で見るより実物はもっと細くて綺麗」と言いますが、すいません。その通りでした。全然違うやん。なんですかこのコケティッシュな魅力は。


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当然のごとくサインをねだりにいくわけですよ。「ハーイ」とか言いながら。気恥ずかしいことこの上ない。

「大きなカメラ!ウチの親の持ってるやつみたい!」的なことを言うてはりました。少々、否、めっちゃ嬉しかった。

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わざわざサインの手を止めて、こちらを笑顔で見つめてくれるんです。なんということでしょう。
テンションが異様に上がったのは言うまでもありません。

もう( ゚〜゚ )ノ 
嗚呼(ため息)

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今回は、ホールのすぐ前に出店が並び、スペインやインドや、様々な国の料理と酒が売られていました。どこの国か忘れましたがサンドを買いました。ベルギービール「VEDETT EXTRA WHITE」と合わせて食べたら美味しかったです。


幕間に一時間ほど余裕があるので、昨日から毎回、堂島川の川沿いをブラブラしています。ブラブラ団です。一人やけど。鳩を追い回しました。


映画の感想とかメモすればいいのに遊んでるから後でレビューに苦労します。鳩を追い回すのです。(後で苦労する)


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(2)原題『Strella』英題『A Woman's Way』
 邦題『アテネの恋人たち』/09’ギリシャ


初めてギリシャ映画を観ました。地味に貴重な体験をしました。
この作品に関しては事前に荒筋を知らないで観た方が絶対に良かった!と激しく後悔しています。チクショウ。



まず、なぜこうも原題、英題、邦題が異なるのか? という作品です。
脚本家パノヨティス・エヴァンゲリデスによれば「各国で雰囲気に合ったタイトルを勝手に付けるため、制作者陣の手を離れているから、なんでそのタイトルになったかは判らない」とのこと。ここまで違うと面白いものですね。



原題の「Strella」は言葉遊びで、主人公の実の息子にして、親子で一夜を共にしてしまう性的倒錯者「ステラ」の名前と、ギリシャ語で「狂気、狂った人」を表す「Τρέλα」(ローマ字表記で「Tréla」=トレラ)とを合わせた造語だそうです。ステラは一般的な尺度で見ると、性転換し、ゲイコミュニティに生き、父親との繋がりを求めて流れの中で父親と寝てしまうという、ある種の狂気的な存在と見做される面があるためです。また、ゲイコミュニティの仲間から呼ばれている作中の渾名が「ステレラ」のため。


近親相姦×同性愛という、そこだけを聞くと非常に衝撃的な内容ですが、映像の美しさ、互いを求めあって距離を縮めてゆく過程の丁寧な描き方から、自然に入っていけました。
互いが愛し合っているならば、互いの属性などは問題ではない、愛し合っていることが重要なのだというメッセージにも似たものが感じられます。



15年の刑期を終えて出所する主人公・ヨルゴス、出所間際に同室の囚人に肌のクリームをせがまれ、冒頭から深いハグを交わします。映画の冒頭はこのクリームの広告から始まります。ヨルゴスが同性愛者であることを示唆しています。


出所後にヨルゴスがとる行動とは、ホテルをとって、生き別れた息子を探すことでした。
「レオニダス」という名を割り出して、電話をかけ続けるヨルゴス。息子探しは続きます。一件一件、手帳にずらっと並んだ候補をつぶしていく姿は必死そのものです。


息子を探すための外出。エレベーターを待っているヨルゴスに「火を貸してくれない?」と声を掛けてきた長身の美女がいました。ライターごとあげたはずなのに、彼が帰ってきてエレベーターから降りたところを、またも同じ女性がドアから出てきて「火を貸してくれない?」。
彼女の名はステラ。彼女の部屋に招き入れられた後、流れから二人は結ばれることになります。が、ステラは言います。「下はまだついてるわよ」。


ヨルゴスは途中まではステラを女性と思い、脱がそうとしたところで彼女が性転換手術を受けて女性になったことを知る。更にその直後、まだ男性性器を留めた雌雄同体の状態ということを知る。しかしどの段階においてもヨルゴスは彼女と結ばれることを望んでおり、「構わないさ」と大らかな笑みなのです。


やがてステラの部屋で同棲する二人。最初にホテルで愛し合う時には普通の男女のように体を重ね、前面は影で隠れていました。しかし、次第にステラの美しい身体が観客の目に明かされていきます。ヨルゴスが手作りの回り灯篭のような回転ライトを部屋に灯し、「目を瞑って」とステラを導いた夜こそ、最も美しく、愛おしさの結晶とも呼べるシーンでした。


暗い部屋の中で、虹色の光を体に受けながら、互いが互いの裸の姿を見つめ合う。カメラは少しずつ二人の肉体の下腹部へと移動し、ヨルゴスの男性器、そして、ステラの男性器を交互に映し出します。
息を呑むばかりでした。本当に美しい瞬間。



余談ですが、ステラ役の人は特撮ではなく本当に「男性から女性へと至る過程の段階」にある体だそうです。美しかった。


この作品はある意味、対面する二人の裸を撮ったところでクライマックスに至ってしまった印象もあります。

ステラの部屋〜彼女の働くクラブ、ヨルゴスとの夜という一連の映像は、闇や夜といった、具体的なものを包んで隠し、色や光をいっそう際立たせる世界でもあります。マリア・カラスに扮して歌うステラの姿は印象的でした。



性愛の頂点に達した後に訪れるのは、探していた息子との対面です。
友人の店での、事情通の元警官との会話。警官をしている同姓同名の青年を自分の息子だと思って話すヨルゴスに、「私が聞いた話と違っているようだが」と切り出す。


「路上に立っているそうだ」。バカな、と信じられない顔のヨルゴスに追い打ち。
「もう男ではないそうだ」


ヨルゴスは顔面蒼白で店を出ます。
その夜、事実を確かめるために、ステラから家族のことや、女になった経緯を聞き出して、確証を得ます。ステラの口からはまさに、15年の刑期の発端となったあの日のことが語られました。
自分を可愛がって服を脱がせた叔父。父親がそれを見て殴りかかったこと。アイロンで顔を殴って死なせたこと。父親は自首したこと。殺しの動機は言わず、自分を庇ったこと。



あとは皆さんも想像できるかと思います。ヨルゴスがパニックになって「俺は実の息子を抱いたんだぞ!」「なんで拒まなかったんだ!!」とむちゃくちゃになります。ステラのあっけらかんとした態度と対比されているのが面白い。「いつも商売でそうしてるから拒めなかった」とか。暴れてむちゃくちゃのヨルゴス。そら、そうや。抱いた女は、性転換で娼婦で生計を立てている実の息子。凄まじい混乱です。


これはこれとして受け容れざるを得ない、どうすればいいか二人で考えようと願うステラに対し、我を失ってステラを追い、手を何度も上げるヨルゴス。過剰なまでの反応は、かつて叔父を殺めてしまったときの姿を私に想像させました。

確かに、いまさら親父と息子と呼び合える仲はありえない。愛人同士であり続けられるわけがないし(自分の父親を想像してみたら物凄く生々しいですよ)、完全な赤の他人として縁を切るには、二人は深く互いを求めすぎていたようです。


取り返しのつかない状態になってしまった親子関係に、どうすれば解決は見い出せるのか?


売りに出していた実家に一人で訪れてみたヨルゴスは、長く閉ざされていた家屋の暗闇の中へ分け入ります。そこは暗く、まるで廃墟のような風化をしています。なんでもっと明るい時間に来なかったんだ、絶対それ暗いし怖いって、と思わずつっこんでしまいました。非常に暗い。夕方ですし。まるで、15年前から放置され、完全に風化してしまった自分達の「家庭」そのものを顧みているようなシーンでした。



天井裏から自分の子供の頃の遊び道具を見つけ出し、手に取っていて、当時のことがヨルゴスに蘇ったようです。
きっと、性の二重生活とか、固定した観念の無い時期に抱いていた原初の想いで、今の息子;ステラと重なるものがあったのでしょう。


ヨルゴスがここから別人のように一変します。


娼婦であるステラを、ヨルゴスは客を装ってホテルに呼び出します。


きらめく夜景をバックにヨルゴスとステラの交わす言葉は、とても美しい。

「寂しかった」と、二人は「I miss you」と言います。
日本語より英語の方が心境が深く伝わると思います。


「俺は実に運のいい男だ。実の息子をここまで愛せるとは」


「失いたくない」「私だってそうよ」


でもどうすれば、自信もない、とステラ。少し時間が欲しいと言って去ってゆきます。
涙して夜の灯りがきらびやかな街の中を歩き続けるステラの表情をカメラが捉え続けます。



何もかもをありのままで受け容れる、という姿勢を得ることによって、ただ、息子ステラを温かく見つめる存在であることを決めたようでした。それ以上の接近はなく、それ以下でもない。この上ない絶妙な距離感を匂わせる描写でラストの光景となります。途中までの濃厚な性愛の熱度を思うと、寂しいぐらいの終わり方でしたが、親子ですから、仕方ありませんね。。



また観たいです。



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監督エヴァンゲリデスが舞台挨拶に。彼の言にいちいちうなずいてしまいました。


「タブーに挑んだ」「ギリシャ神話時代からの性や親子に関するテーマを再認識し、一歩前進させた」「何でも大らかに受け容れること。それが愛」「伝えたかったのは、何が悪いとか正しいとかではなく、大らかに受け容れることの大切さを描いた」


私自身はマイノリティの属性を有してはいません。ですが、逆に、どこか中途半端な根なし草という自己認識があります。そのため、彼ら彼女らマイノリティの生きざまには、大いに興味があるのです。世間的な無理解や批判の厳しさなど、苦労は絶えないだろうけれど、しかし特定の固有の場所に根付いてアイデンティティーを確立できるという意味で。認識不足と言っても良いぐらいの興味が。




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1本目の『リトル・ソルジャー』ゲスト女優ローナ・ブラウンが唐突に登場。「まあ!」「ワオ!」みたいな歓喜の声を漏らして「愛してるわ!」ぐらいのハイな賛辞を炸裂させており、場がさらに暖かくなりました。
言動がいちいち可愛い女優さんでした。あの役柄が信じられん。

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当然のごとくサインをちょうだい致します。
こういう映画が普通に流通して、すぐに出会える環境になると良いのですが。

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※長くなりすぎたので、3作品目は次のページでご紹介。
ちょっと書きすぎましたね・・・。でも書かないと永遠に忘れそうで怖かったんです。