写遊百珍

関西をメインに、美術館・アートイベント、登山、廃墟、珍スポットなど珍奇なものをご紹介。

【謎】大阪の聖戦士_2017.8.2

【謎】大阪の聖戦士_2017.8.2

 

おひさしぶりの降臨イベントでした。聖戦士のお時間です。

 

 

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急遽、通院することにして、職場を早々に飛び出し、久しぶりにJR京橋で乗り換えをしようとしたら、聖戦士の方がおられました。炎天下の中、また形のありそうな無さそうな何かと戦っておられました。

 

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【ART‐写真】アントワーヌ・ダガタ 写真集「AKAANA」トークイベント @梅田 蔦屋書店

【ART‐写真】アントワーヌ・ダガタ 写真集「AKAANA」トークイベント @梅田 蔦屋書店

 

H29.7.29(土)

 

 

梅田のルクアの蔦屋でアントワーヌ・ダガタのトークショーがあるということを聞き、学校(写真表現大学)を飛び出して、汗でベトベトしながら聴講に駆けつけました。いやあベトベトしました。何とか間に合った。ベトベトしました。

 

 

写真家に限らず、表現者という存在について、私は2種類に大別できると思います。一つは、憧れの対象、その人のようになりたい、彼・彼女のような作品を自分も作りたいなあと思う人。もう一つは、凄まじい人。極地にいる人。真似たら死んでしまう、絶対に自分はそうしたくない、むしろなんでこの人死んでないんだろう…という人。ダガタ氏はどっぷり後者の方でした。

 

<イントロダクション>

先日、赤々舎から出版されたばかりの写真集「AKAANA」(赤穴)をめぐるトーク。ダガタ氏、写真批評家・竹内万里子氏、写真研究家・青山勝氏の3名が回していく。

 

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写真集「AKAANA」 

 

 

ダガタ氏の存在は知らなかったが、元AV女優で現在はフォトアーティストとして活躍している大塚咲が出演していた映像作品が、彼の作品だと後で分かり、納得した。彼の世界は言語化するのもヘヴィな状況なのだが、ダガタ氏が実によく語った。交わされる言葉は最初から最後まで、彼自身がどう生きて、どう在るのかという実存主義、思想論であった。つまりダガタ氏は、思想家であった。

 

ダガタ氏はマグナムで活躍している写真家だが、トークの入口から既に「私は麻薬常習者だった」「17歳の頃からマルセイユで12年間のあいだ路上生活者だった」「自分の人生を(芸術を用いて)極限まで推し進めていきたい」「生存を賭していく」と言い、これまで想像していたマグナム構成員のイメージとかなり異なる。

 

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目の前にいるのは優しそうなおっちゃんだが・・・

 「これから流す映像には、始まりも終りもなく、非常に混沌とした、混乱したものであることを了解いただきたい」との断りを踏まえて、これまでの作品のダイジェストがスライドショーで流された。

 

 

<スライドショー>

整然と捉えられた家屋・建物、家屋・建物の写真の整然とした列

裸の女性   女性?  肉、

性行中の二人、肉、女性、(暗黒)

男の顔、男の顔の作品の整然とした列

リストカット痕の刻まれた腕、

裸の女性、叫び、喘ぐ女性の顔、顔とも肉ともつかない肌色、髪、(暗黒)

叫び?喘ぎ?顔? 叫び?

ブレて溶けて流れる二人の肢体、 (暗黒)

投げ出され横たわる体、垂れ下がる腕、腿、おぼろげな輪郭、(暗黒)

(暗黒) 唇?  (暗黒)  眼??

暗黒   ブレて溶けた肉体

整然とした家屋の写真の列

ブレて溶けた肉体  ブレて溶けた禿頭? 肉塊

股間、開いた股間、血のようなもの 闇 (暗黒) 

 

(目にした瞬間で感じたこと)

・ずっともがいている、終わりのない高熱でうなされている

・誰かとつながっている、それも定かではない、相手も自分も突き放している、

・死体か生者か正直わからん 区別がない

・生きている がどうやって生きているか分からない

・作者(自分)の体か相手(女)の体か区別できない、亡霊の世界

・気持ち良いようには見えない、叫び、現代のフランシス・ベーコン

・写真の文法、常識、愛その他多くのものを解除された後のすがた

・生きているのに生から放り出されている?

 

 

 (・_;) ぐう。

10数分間のスライドだったが、切り替わりはやや早く、大量の、闇に満ちた、肉とも人ともつかないイメージが蓄積され、自分の言語基盤が浸食され、ややおかしくなる。なにこれ。ナン・ゴールディンが深く猛毒に侵されてゾンビ化したような映像世界。もはや愛や性などという言葉が通用しない。

また、自身の性交、挿入を自ら撮るという手法は荒木経惟を思い起こさせるが、荒木氏の作品はひとつの舞台のように、女性と共謀して劇場を作っている感があり、また、女体性への崇拝のようなものも感じられたり、見る側は「見る」という視点を強く持たされる。ダガタ氏の映像は視点を持つことが難しい。見る側が「見る」ことを維持できなくなる、知らない間に闇に立たされる危うさがある。

ダガタ氏は自分の表現活動について頻繁に「感染」「汚染」という言葉を用いたが、そこに引きずられたわけではなく、確実にそういう効果がある。

 

 

 

以下、トークの概要を書き起こします。

 

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森氏:

写真を見て分かるとおり、ジョルジュ・バタイユのことを考えずにはいられない。バタイユは人間の極限の感情について、神聖さとエロティシズムの二つがあると言った。後者は、呪われたもので、孤独の中に放置される状況である。ダガタ氏ほどこの点を追求した作家は他にいない。

 

青山氏:

前作「Anticorps 抗体」の翻訳を務めたが、こんなしんどい仕事はなかった(納期、密度の両面で)。ダガタ氏の写真集は写真と言葉から成るが、その言葉はマルクスギー・ドゥボールバタイユからの引用に満ち、哲学的かつ詩のようなもので、決して写真の解説などではない。写真を見てもテキストは分からず、混沌としている。写真の構成も、グリッド状に無数の写真を配置したり、延々と果てしなくイメージが続く。「初めがあり、終わりがある」ものではない。

 

ダガタ氏:

蓄積に「限度が無い」というのは大事な概念。

個人、個体でいるということはどういうことか。存在を作っているのは「狂気」「暴力」である。私は無神論的な存在論を展開しているのかもしれない。

私のパラダイム(認識の枠組み)は、①欲望、②恐怖である。これらが「極限」への追求を可能とする。

言葉とイマージュ(image)は、どちらもがどちらをも超えることがある。言葉は、もう一歩先へと自分を持ち上げてくれる。そうやって常に「先へ」と行くことができる。

 

 

<写真集「AKAANA」について>

ダガタ氏:

全体は3部構成になっている。舞台は日本。1部は、古典的。個人、出会い、現実との直面。言葉を通して現実と向き合う。バタイユ「マダム・エドワルダ」がシナリオの元。

森山大道と出会ったことが大きな影響を与えた。現実と写真の関わり方について、現実をアメーバのように、物理的に写真家の視点汚染していくという思想に触れた。

 

2部は、自分のシナリオを実行に移す。7人のモデルとなる女性に出会い、4か月を要した。互いに通じ合う言語はない。ただ録音という形で女性らの声をおさめた。毎夜の経験(性行)をビデオ録りし、極限状態に到った。彼女らの自分の人生そのものと写真との対峙であるが、これは不純な関係である、どちらが勝つということはなかった。

 

3部は、写真がアメーバ的に増殖、イマージュが蓄積し、繰り返される。モデルらへの挑発から、「本当の関係」に至った。彼女らとのメールのやりとりを行うが、Google翻訳を使っており、そこでもカオスな状況が生まれた。そこで彼女らの人生(現実)の言葉が、写真に打ち勝つ瞬間となった。私は写真なしで彼女らとの関係を結ぶことができた。

 

写真集のタイトルを決めるのは苦手。

今作「AKAANA」の発想の元になったのは、①出版社の名前(赤々舎)、②日本の国旗、③穴―女性器、④日本で泊まったホテルの回転ベッドが赤かった、その印象が強く残った、⑤モデルの女性が儀式のように「私は穴」と繰り返して言っていたこと、等。

作品作りはプロジェクト的には進めない。写真が遠くへと行く試みをし、常に失敗する。その欲求不満から、暴力的になってしまう。

 

 

(元々は映像作品として制作された「AKAANA」、写真と映像の違いについて)

 

ダガタ氏:

写真と被写体は不平等。だがビデオの場合は被写体の自由度が上がる。映像の中で言葉を発することができ、写真家の外に存在することが可能。

彼女らの言葉はリアル。作家のフィクションを言葉が超えて、現実に戻ってくる。

 

 

森氏:

ダガタ氏は遠くへ行こうとして到達できず、失敗を運命付けられている。写真は「常に」遠くへ行くことに成功しない。

私は写真を見て非常に戸惑う。もし成功がないとしたら、私は何を見ているのだろうか? でもダガタ氏は極限から何かを持ち帰っているのではないか、でなければ私達は彼の写真を目にすることができていないのでは。 

 

 

ダガタ氏:

それが私の責任である。遠くへ行こうとし、心身は極限で、正常のギリギリの状態。神や規範を破壊して――セックスや薬物等によって、押し進めた。

外から見れば私は人間の屑になったかに見えるだろう。

 

「失敗」については、体がついていかない、燃え尽きた状態。しかし生きることは諦めない。写真集「抗体」の表紙は、AIDSに感染した女性との性行中のもの。他者との関わりを少しでも持ちたいという中で剥ぎ取られたイマージュである。

 

 シチュアシオニストイデオロギーは、人生と芸術は暴力によって結びついている。どちらが強くてもどちらかが壊れてしまう。人が生きていく以上は芸術は成り立たない(人生を壊してしまう)。よって、芸術の亡骸の上に人生を表明することになる。

 

12年間ジャンキーで、言葉も写真もない中で、現実だけがあった。そんな中で「AKAANA」を撮った。モデルの女性たちは悲劇的な立場にある。娼婦、ストリッパー、レイプ被害者、男性に支配されている等。私は彼女らとの経験に形を与えなければならない、しかし、その関係は不純である(自由の不平等―自身は作品制作による生存の自由があり、彼女らには生存の自由がない)。

 

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以上が、トークイベントの概要です。

 

写真集は、なぜか非常にあっさりしており、映像インスタレーション作品がそのまま平面の紙メディアに落とし込まれたような、期待と違った内容でした。あれ? 話が面白かったのに写真集には食指が動きませんでした。サイン断念。

縮小された写真が曼荼羅のように無数に並び、ページを埋めて、モニタ画像のように光を放っているのですが、一枚一枚をボディーブローのように重く叩き込んできてほしかったのが願望です。むしろ前作「抗体」の方が救い難くドロドロしていそうで気になっています。赤々舎HPでは再版検討中なので、何とか頑張ってください。

 

 

久々に「人が生きるということ」がどういうことか、言葉の上でのやりとりながら、言葉や制度を剥ぎ取った生のレベルで触れた気持ちでした。

 

人は、幾重にも社会的な規約や保証を衣装のように重ね着して、この社会に立っています。それを一旦脱ぎ捨てて解除したり、ほころびを見つめたり、あるいはそれらの衣装が裸の王様的な状況ではないかという指摘をするのが文学や芸術――「表現」の業でもあります。本作はその極致で「生」を見るものであったように感じます。

翻って私自身を思えば、Web上で流通させる画像や言葉は自主検閲の嵐であり、炎上、クソリプ、身元追跡、その他ささやかな衝突や批判を受けないよう、無害化のフィルターを何度も通してでしか生きていません。それ以上のことを試みることにリアリティが無い、というのが正しいのかもしれません。ダガタ氏と違って、私(を含む多くの人々)が「生きる」というのは、そうしたプロトコールや安全化フィルターで雁字搦めになって生きている・表現したりする不自由さこそが、リアルなのでしょう。真似したら死ぬと思いますし。

 

ただ、ダガタ氏が交流を持った「悲劇的な立場」の女性モデル達の状況は、他人事でしょうか。彼女らは主に外的要因から不安定な状況に立たされている方々のように推察されるものの、しかし例えば「東京喰種」のように、一般人との生理的・根源的な「生きる」レベルでの差異による苦しみや葛藤を抱えながら、それを押し殺して日々を生きてきた人たちなのではないでしょうか。

それは、もっと身近なレベルで多くの人が、まさにグール同様、素性を隠して、ささやかな「極限」の日常を隠れて生きている可能性があります。どこにも所属(回収)されきらない、投げ出された肉体であるこの「自分」を、どうやって生きていくか。答えも結論も無いのですが、それでも「やっていくしかない」という境地、そのイメージを、本イベントにおいて垣間見た感があります。

 

【ART】北アルプス国際芸術祭2017_ジェームズ・タップスコット「Arc Zero」

【ART】北アルプス国際芸術祭2017_ジェームズ・タップスコット「Arc Zero」

 

昨年は「あいちトリエンナーレ」でバタバタしていましたが、このH29.6/4~7/30はなんと信州・信濃大町で「北アルプス国際芸術祭2017」です。ありそうでなかった、アルプスのお膝元でのアートイベント。

 元々、登山をしていた私にとっては、信濃大町は登山の起点として重要な場所でありつつも、宿泊はすれどほぼほぼ通過点みたいな扱いだったので、腰を据えて土地に向き合うというのは初。

  

土地勘もないので、レンタカーをぐるぐるし、適当に立ち寄ります。適当に作品へ行ったのですが、

○ジェームズ・タップスコット「Arc Zero」

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聖域のようだ。うっとりしますね。

かなりうっとりして、仲間内でも変な高揚感があったので、滞在中2回行きました。ありがたや。

 

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【ART】北アルプス国際芸術祭_仁科三湖エリア(木崎湖)

【ART】北アルプス国際芸術祭_仁科三湖エリア(木崎湖

 

北アルプス国際芸術祭を回るアレです。※ただの趣味です。私達は宿のある大町温泉郷から北上し、間違え爺が岳の麓へ行ってしまったりしつつ、山をわたって木崎湖という大きな湖に来ました。

 

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夏の木崎湖は実に楽しそうでした。人生がある。残念ながらリア充ほどのパワーがないので、カヤックや釣りやキャンプ等のリア充イベントに向かう気力がありません。溶けて燻る燃料棒のような人生をおくりたいとおもいます。しゅうう。 

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【ART】北アルプス国際芸術祭_大町名店街の夜

【ART】北アルプス国際芸術祭_大町名店街の夜

 

北アルプス国際芸術祭を目当てに、大阪からフラフラとやってまいりました、そして夜です、信州の信濃大町、信州ですよ、地元の幸がぜったい美味しいはずだと、確信しつつも、大阪や東京と同じ時間感覚でやっていると、店が全くありません。ない。うわあ。ない・

 

駅前のチェーン店(養老乃瀧)は開いているようだが、信濃大町まで来て、それでは泣けるので、がんばることに。

 

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21:10、「営業中」の札に安堵したものの、「10時でしめますので」とのこと。がんばりようがないぜ。

 

しかし店員さんがとても親切だった、電話でまだやっていそうな店にバトンを繋いでくれたのだ! わあい、

 

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【ART】北アルプス国際芸術祭2017_信濃大町 / 宮の森自然園&大出ホタルの里(遠藤利克、平田五郎)

【ART】北アルプス国際芸術祭2017_信濃大町 / 宮の森自然園&大出ホタルの里(遠藤利克、平田五郎)

 

信州は信濃大町に行っておりました。蕎麦が美味しいです。泣くと思う。 

北アルプスに抱かれた大地、信州では、森が濃くて深いです。なぜかな。水がちがいますね。アルプスの山々から注ぎ込む豊富にして清冽な水が、森を深く育んでいます。ナウシカ原作などを読みたくなる。

 

○遠藤利克「Trieb ー雨為る森ー」

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「宮の森自然園」で森の中に据えられた遊歩道を歩いていると、樹上から水がじゃばじゃば落ちている。熱帯雨林かよと無粋なことは微塵も思わない。森の中を満たす翳の重みに、水は吸い込まれていきます。

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【映画】「Don't Blink」ロバート・フランク @シネ・リーブル梅田

【映画】「Don't Blink」ロバート・フランク @シネ・リーブル梅田

 

 

大阪にもロバート・フランクドキュメンタリー映画が来たので、たのしみにして観にいってみた。なんかすごい寝ました。

ふう(´-`)

 

 

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公式HPより。これは写真やってる人種は期待します。街頭でスナップ撮影にいそしむ御大の姿を拝めるのかなとか。

 

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【ART―写真展】コレクション展―花咲(わら)う @ブルームギャラリー

【ART―写真展】コレクション展―花咲(わら)う @ブルームギャラリー

 

仕事終わりにギャラリー視察。本日は大阪・十三で写真専門に運営されているブルームギャラリーさんへ。

 

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地図を見ると思いっきり淀川沿いです。ギャラリー? あったかな?? GoogleMap先生に導かれて歩いてきました。さて現場です。問1.ギャラリーはどこか。

 

 

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正解はこちら。一見おしゃれ雑貨屋なので、今までギャラリーとは気付かなかった。こんにちは。

 

 

 

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店内は改装真っ最中で、壁の一つ向こうはガリガリビュイィイイーンドルルルルルル。

現在は限られたスペースで作品を展示販売中。

7 / 9(日)が新装開店オープンでおひろめパーティーもやるそうです。

 

 

置かれている作品はまさに現在活躍中の、比較的新しい作家さんのもの。どれも作家さん独自の手仕事、視点が織り交ぜられていて、虚と現のはざまを突くような、二度見・三度見してしまう映像イメージです。はっきりとそのコンセプトを言葉にすることはできません、しかしいつの間にか、その映像世界の小道に足を連れ去られていた感があります。

 

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辺口 芳典(へんぐち よしのり)氏  / 「PHOTOGRAPYシリーズ」より。

ドイツで展示されたA3タテの作品を、改めてマットで覆い隠し、意図的に一部分だけ切り出すことでイメージの再解釈がなされる。一枚ごとに改めてタイトルが付与されていて、宙空に浮かんだ言葉とイメージとを結びあうことを、作家自身が大いに楽しんでいるように見える。

 

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イメージの断片でありながら、何かどうも気になり、ラブホテルの電光表示、作者の母親と思しき中高年女性の横顔、奇怪な手の振りで踊っているらしき人、色と形のどちらともつかない光る流体などは、生きている詩のように、見た先から掴みどころなく過ぎ去っていくが、完全には消え去らずに脳裏のどこかに残響があって、また気になって見返してしまう。

 

 

 

 

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大坪 晶(おおつぼ あきら)氏  / 「Encyclopedia of Flowersシリーズ」より。

これはとてもとても好きな手法、世界観ですね\( ゚q ゚ )/

大坪氏はフォトコラージュを駆使し、平面の中で別の写真を重ね合せて小気味良いイメージの攪乱を行うとともに、平面から飛び出させて立体造形としての質感を与えていました。

 

私はフォトコラージュに取り組んでいるのですが、全てはphotoshopの中です。Adobe社がつぶれたら活動が立ち行かなくなる。手先が不器用で、外科医であったならば医療訴訟の王者になっていたかと思います、それぐらいだめなので、大坪氏のように高い繊細さ、穏やかなコミカルさを有した手作業のコラージュは、たいへん憧れます。

 

 

 

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こちらも大坪氏。元々のコラージュ作品を複写し、額装したもの。

しっとりと、モノのたたずまいがある上に、デジタルノイズの結晶が結露しています。つまり元の写真が良いんですね。それだけで語る力があった上で、その本体の世界観を崩さないよう、コラージュが寄り添う。

 

予算があったら、この「The Mind Invader in Box」は買って家に飾りたいぐらいです。比較的お安い。が、どういうわけか私の5月のカードの請求が40万円を超過していたので、当面はお通夜みたいな暮らしをします。まあ旅行いくけど。嗚呼。

 

 

ドリルがドリュルルルルルルルヴィィイイイイインと鳴る中、長々お邪魔しまして色々見させていただきました。

実は私、恥ずかしながら、写真をやっていると言いながらも、美術館回りがせいぜいで、新しい世代の作家さんの生写真に触れる機会がなかったです。今後はこうした機会を増やしたい所存。ギャラリーにまめに足を運ぶのが一番良さそうですね。

 

 

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額装について、サイズ、種類、加工とお値段など、色々とコンサルタントしてくださるということで、今後も何かと頼りにする機会がありそうです。

 

 

一仕事(?)終わったので飲みたいわけですが、ここは大阪と言えども十三であって、梅田とはまた別の国です、土地の風土、物件の間合い、建物の老朽度や猥雑さなど多くの点でどちらかと言えばミナミの新世界に近い気がします。

 

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好ましい老朽化が見られます。これらも店主、物件オーナーが体調悪化したり逝去されるなどしたら取り壊されてゆくのか、あるいはこのクレイジーなセンスは後世へ継承されるのか。

 

 

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ゲリラ的に物件、店舗が生きているところに、古参の都市生活者のしたたかさを感じます。再開発(浄化)が行き届いた梅田ではまず見られない生態。

 

 

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都市の雑な界隈では、誰が何をどう見るかの想定がモノによってバラバラなため、空間がミニ多次元化することがしばしばあります。

 

 

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メイン通りに面した店舗群であるが、よく見ると破れているではないか。

 

 

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年季の入ったお水系の物件。こうした店舗ビルはエントランスが円形に突き出し、照明器具の形状と合わせ見ると魚類や昆虫の顔ような、独特の迫力があります。いいですね。

 

 

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メイン通りの店舗は横一文字に並んでいる都合、あまりカオス感はありませんが、任意に光景を切り出して見てみるとどうも情報の整理がつかなくてきもちわるい。

 

 

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一軒一軒の店舗は自社のコンセプトを打ち出そうと努力するが、あまりに両隣が近接しているため、店同士のアイデンティティーが混線して見える。和風の個室ビデオ屋のようだ。 

 

 

 

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人間界はめんどくさいにゃー。

 

【映画】「世界でいちばん美しい村」石川昆 監督 @第七藝術劇場

【映画】「世界でいちばん美しい村」石川昆 監督 @第七藝術劇場

 

はい。どうも。こんにちは。

ノンフィクション写真家・石川昆 氏が監督を務める「世界で一番美しい村」を観に行ったのでメモ。

 

第七藝術劇場は大阪の欲望の掃き溜め・十三の歓楽街の中にある。

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デザイアー通りと勝手に呼称。寿司や刺身やねぎ焼き、焼き肉を食うと同時に、ビデオ試写室、キャバクラ、人妻、熟女などを食えるという街道であるが、マイナーな映画も食うことが出来るわけで、人生をこじらせた殿方・姫方も満足。

 

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【登山】快適ライト登山、奇岩の金勝アルプス(こんぜアルプス) @滋賀県_2017.6.17

【登山】快適ライト登山、奇岩の金勝アルプス(こんぜアルプス)@滋賀県_2017.6.17

 

2016年1月のぜんぜん雪がない武奈ヶ岳以来、お休みしていた登山ですが、写真仲間から強く強く要請があって、お連れすることになりました。ラッ。

 

「初心者でも十分に安全に楽しめる山はないですか」というクソ芸能人みたいなクソオーダーを投げましたら、師匠より「こんぜアルプスはいいで」「半日で奇岩とかいい眺望とか楽しめる」と最善の回答をいただきました。ありがとうございます。さすが客商売(山)経験者。

 

行先は滋賀県大津市甲賀市の隣ぐらい。忍者。

 

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金勝と書いてこんぜと読みます。MIHO Museum近い。

奇岩めがけてレッツゴー。

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【映画】「神々のたそがれ」「フルスタリョフ、車を」アレクセイ・ゲルマン監督 @九条シネヌーヴォ

【映画】「神々のたそがれ」「フルスタリョフ、車を」アレクセイ・ゲルマン監督 @九条シネヌーヴォ

 

H29.6/16(金)

 

大阪における映画文化の屋台骨は九条のシネ・ヌーヴォと十三の第七藝術劇場が支えていると言っても過言ではありません。

ナナゲイに浮気してばかりいて、6~7年ぶりに行きました。

 

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わー 相変わらずじゃーん。

\(^o^)/ わーい。

 

シネ・ヌーヴォでは現在「ロシア・ソビエト映画祭」を開催していて、名前だけは知っているけど観たことがないまま放置している名作を回収できるチャンス。

 

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なんかすごいものを観たので、断片的にでもメモを残そうと思う。

以下、個人的感想メモ。ネタバレが嫌いな方は開かないでください。

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【ART】「The Japan」渡辺直人@天野画廊 / 「blooming proudly」小路珠里・西田和美@ギャラリー白3

【ART】「The Japan」渡辺直人@天野画廊 / 「blooming proudly」小路珠里・西田和美@ギャラリー白3

 

大阪・西天満の「ギャラリー白」へ、キノシタ藍さんの写真展を観に行った際、刺激的な展示に出会いました◎

 

「星光ビル」内には「ギャラリー白」が1階から3階まで入っているのと、「天野画廊」さんも入っている。

 

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亜人種の方がいました。後に話を伺ってみたいと思います。

 

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